江戸水系

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神田川クルーズ3。江戸水系は都市の重要なインフラだった。現代でもゴミ搬送の重要なルート。ドブ川でなくなったので船宿もあるしリバーサイドも見直され始めている。

鉄道景色

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後楽園あたりで神田川へ右折するとともに鬱陶しい高速道路は消え頭上に青空が広がった。お茶の水が近づいてくると中央線が横を走る。左側には樹木が茂り鳥が賑やかだ。聖橋をくぐると丸ノ内線と総武線の立体交差。船ならではのダイナミックな鉄道景色が展開する。

東京水系

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第4クォーターの設計課題「東京水系にリンクする集合住宅」の準備のために日本橋から船に乗った。「神田川クルーズ」という日本橋川→神田川→隅田川を巡る90分コース。秋晴れだったのだが日本橋川の上には高速道路が走り回っているので快適とは言い難いが、船は屋根無しなのでその不思議な感じが面白いと言えなくもない。

路面標示

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[二軒家アパートメント]前の味のある遊歩道の見栄えがいいとは言いにくい可動植栽が撤去されたので、環境改善を楽しみにしていたのだが結果は余所では眼にしたことがないほど悲惨なものだった。路面に着彩。毒々しい青を基本にタイル目地と割石目地が醜悪なパターンで配されている。同じようにもともとの小河川を暗渠にした呑川緑道とか蛇崩緑道とかが緑いっぱい鳥いっぱいなのと比べると悲しい。工事標識には「路面標示」とある。確かにそのとおりだ。予算がないのならそれも仕方がないけれど、せめてもう少し環境を考えた標示にしてほしいな。

宮脇別墅

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「宮脇檀 手で教える 教育者 宮脇檀へのオマージュ展」が好評裡に閉幕した。居住空間コースのOGも大勢来てくれたようだ。「松川ボックス」を手掛かりにした会場構成もたいへんよくできていた。作品の模型やドローイングなどどれも見応えがあったが、とりわけ興味深かったのは「M氏のための別荘」。晩年の病床でもう声が出なくなっていた宮脇さんに別荘を設計して贈ろうという課題で、29の作品一つ一つに彼の直筆のコメントが添えられている。たとえば、古民家を題材にした学生に「別墅なんて云い方良く知ってたね」と優しく語りかけながら「こういう伝統的な建物をそのまま住むのではdesignにならない」ときちんと語る。愛に溢れているなあ。展覧会の締めはゆかりの深い先生たちのトークショウ。みんな一緒になって教えることを楽しんできたことがわかる。そして製図室で恒例のパーティー。参加してくれた宮脇事務所OBの方たちが初めて目にする宮脇さんの大学の世界に驚いていた。立派なキッチンがある製図室に宮脇好みの椅子、家具、照明。テーマは建築、旅、食を通じて人と人の繋がりの大切さを教えること。この仲間に入って15年間も教えることができたことをうれしく思う。ここで育まれた繋がりはいつまでも続く。

秋から冬

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ここのところからだが少し重いなと感じているのは秋になって野山の動物のように冬が近づいてきたからではないだろう。そう「燕楽」の分厚いロースかつと「ロダン」のかつカレーだ。早速外食条例施行細則を改定しカツの対象にチェーン店以外も含むことにして即日施行した。そして今週のランチはデザートを止めることにしたlunetteの後は3日続けてmargoサラダ。3種のグリーンレタスにアボカドとナッツを基本に豆類、穀類、野菜から2品加えてドレッシングも変えてヴァリエーションを楽しんでいる。美味しいしおなかいっぱいになるのだけれどピースが多すぎて食べるのに時間がかかるのだけが難点。楽しんでいます。

hypermix

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北山恒さんのhypermixで開かれた円錐会のシンポジウムに行った。「集合と共同から建築を考える」という焦点が定まらないお題のせいか議論はあまり上手く噛み合わなかったが、パネリスト各々のプレゼンは興味深かった。特に高橋一平さんの8戸の不完全なユニットの集合体に新たな可能性を感じた。個人の領域から鍵を開けて一歩外に出るとそこは管理された領域で英語でpublicと呼ばれる中間的領域は東京にはほとんどないという共通認識は確認できていたように思う。会場となったhypermixはその中間的領域を建築の内側に成立させる挑戦が実現している稀有な例なのだから、積極的に議論に取り込めばもっと良かったのではと感じた。路面の大空間が経済的に占有されていないこと、居住用ユニットの外周に連続して共有外部空間が存在していること、居住ユニットと仕事空間が共通の共有空間を持つことなど類例が少ない興味深い試みだと思う。事業主サイドから一般的に捉えると、容積は余っているし、お金にならない場所がかなり多い。けれども事業収支的にはペイしているそうで、それでいて社会に向かってこれだけ大きな働きかけをしているのだからあっぱれだ。容積完全消化を大前提に僅かばかりの面積に入らない中間領域を創り出すのがせいいっぱいの私には別の世界の建築のようだが、私にとってもまったく無縁であるわけではないということを、ここから学ぶべきなのだろう。都市を社会を変えていくためには観念的な壮大な議論よりも小さな実践が大切だという好例だと思う。たくさんの元気をもらった。熱い議論の空間の脇の路地を街の人が通り抜けて行くいい写真が撮れた。

遠い記憶

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二軒家の花屋さんハナミドリはとても忙しいらしく朝昼夕夜たびたび前を通るのになかなか寄ることができないのだが昨日は運よく開いていて秋らしいかわいい紫色の花をゲットした。トリカブト鳥兜Ranunculaceae Aconitumキンポウゲ科トリカブト属 。英語はmonkshood。ドクウツギ、ドクゼリとともに日本三大有毒植物だそう。3人で設計事務所workshopを設立した1978年に我が家[bigdog house]の根伐の現場でユンボのお兄さんから乾燥して棘のようになったトリカブトの茎をもらった。「虫歯がないなら齧ってみな」と言われて口にしたらジーンと痺れた。遠い遠い記憶が鮮明だ。

出石から

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今年の夏に兵庫県出石を訪ねて20〜30年前の宮脇さんの仕事の今を学生たちと確認したことはこのブログにも連載した。その折に出石の町の人たちから大変な歓迎を受けて宮脇さんの仕事の大きさを実感した。大学で開催中の「宮脇檀展」に合わせて大学を訪ねてくれた出石の方々をお招きして渡辺康教授設計の「百人町酒房」で歓迎会を開いた。宮脇事務所のOBも参加してくださって出石の頃の宮脇さんのことをさらに詳しく教えていただいた。お酒も入って大いに盛り上がり次はこちらが出石に出かけることを約束した。姫路の宮脇さんもいいそうだ。宮脇さんありがとう。

dogwalk

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「北嶺町の家」にお招きいただいた時にふと頭をよぎったのが遠くはないはずの「森山邸」だった。穴のあくほど図面を読んだ西沢立衛さんの傑作が実在していることをこの眼で確認したかった。するとメモリー不足気味の記憶装置が引き金になって一目を置く講師仲間が推すとんかつ屋「燕楽」が界隈にあることがわかった。当日は池上本門寺のお会式だと言うので寄ってみたくもなった。地図を見ると本門寺は呑川沿いにあるということは柿の木坂の我が家から坂を下りたところにある呑川緑道とつながっているということだからこれは歩くしかないと思った。6.3kmの道程にはカラスに襲われた傷ついたハトやまだ残っている渡り鳥が少しはいたけれど、風景の変化量が距離の割には少なく、歩き飽きてしまう寸前だった。そのあとにさまざまな感動が嵐のように訪れたので歩いたことはもうどうでもいいと思っている。
 

harvest

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室伏次郎さんの「北嶺町の家」にお招きいただいた。1971年末竣工だから間もなく47年が経過するご自邸は限界予算の2戸建て「上の家・下の家」に始まって幾度もの改装・改築を経て棲み続けられ今の2世帯住宅「北嶺町の家」に至っている。そのダイナミックな変遷の足跡が建築の随所に残った空間は室伏さんの人生そのものの写しのようでもある。この日の主題は屋上庭園に生り繁ったオリーブの「収穫祭」。建設現場の足場ユニットで構築された仮設外階段を登って4階屋上に上がると一面に拡がる住宅地の眺めを遮るものは何もない。ご子息一家も加わって1060gを収穫し直ぐに苛性ソーダ2%水溶液に漬け込まれた。屋上の芝生に置かれた模型ケースのアクリルを転用したテーブルの内面結露が美しい。乾杯の後階下に戻り奥様の手料理で宴。歴史が刻まれた味わい深い空間で熱い語り合いの時間を持つことができたことに感謝したい。

crepuscule

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photo by Fujinari Miyazaki

長崎市坂本で[薄明薄暮性]crepuscularとタイトルされた写真展が開催されている。[長崎のヴィッラ]の竣工写真を撮ってくれた宮崎富嗣成さんの建築/風景写真展でそのヴィッラの美しい写真も展示されている。crepuscularという耳にすることがそれほど多くない言葉から真っ先に連想するのは1980年頃に話題を集めたベルギーのレーベル「クレスプキュール」Crépuscule。私の守備範囲からは遠かったはずだが1989年にLes Disques Du Crépusculeという編集盤を懐かしい六本木Waveで購入していた。crepusculeはフランス語でたそがれ、すなわち「犬と狼の間」entre chien et loupということ。その心は「慣れ親しんでいて心地よいものとよくわからなくて危険なものとの境目」。

wagtail

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身近によく見かけるセキレイは鳥とは思えないほどにひとなつこい。5世紀末のほぼ神話の世界を描く日経朝刊の新聞小説「ワカタケル」にマナバシラという古名で登場してから見え方が少しばかり変わってきたから不思議だ。際限なく拡がった大都市に暮らしていて、千年を超える時の流れを実感する機会がほとんどないからなのかもしれない。ちなみに5世紀にはローマ帝国は繁栄のピークを越えてすでに東西ローマ帝国に分裂している。コロッセオもパンテオンも建造されてからもう何百年も経っている。セキレイはローマでも日本でも同じように尾を振っていたに違いない。セキレイはラテン語ではmotacillaのようだからローマでもそう呼ばれていたのだろうか。ちなみにイタリア語はcutrettola。英語のwagtailは分かり易い。

feed the birds

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非常勤講師をしている居住空間コースは家からはかなり遠いので9時の授業のためには7時前に家を出ることになる。だから毎週月曜日の早朝にパーシモンホールの樹々の中を急ぎ足で歩いて行くと鳥たちの挙動もいつもとは違っている。じっくり観察する時間はないのだが優秀なコンデジのおかげで時々お気に入りの写真が撮れる。電線に連なる椋鳥がリズミカルに並んでいて音楽になりそうだ。中学生の時に感動したMary Poppinsはアニメと実写が合成されたミュージカルで作曲はディズニーおかかえのシャーマン兄弟。この中で私が一番好きな曲はJulie Andrewsが歌う哀調を帯びた美しいメロディーのFeed the Birds。1988年のディズニーソングカバー集Stay Awakeに収録されたGarth HudsonのFeed the Birdsのアコーディオンも涙ものだ。

whatshername

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街中に張り巡らされている電柱電線網は日本独特の鬱陶しさだが街に棲む鳥たちには喜ばれているようだ。鳥撮りにとっても樹々の中に姿を消されてしまうよりは格段にいい撮影環境を提供してくれる。肉眼では種類を識別できないほどの距離からほぼ反射的に撮ったこの写真に颯爽と写っているのはカラスでもハトでもないようだ。Whatshername。PPMのAlbum 1700というレコード番号をタイトルにしたLPでPaul Stookeyがソロで唄うウッドベースが効いたジャジーな曲。この後にスリーフィンガーピッキングの柔らかい爪弾きで始まるBob Dylan's Dreamが続く渋い選曲がみごと。1967年の私はDylan作品の方は聴いたこともなかった。収録曲のLeaving on a Jet Planeが2年後の1969年になって大ヒットしている。ヤマハで輸入盤を入手した当時高1だった私は星稜祭の放送部の出し物の一つとして番組を制作した思い出がある。自ら選曲し原稿を書いてアナウンス室の同期の女の子が読んだ。「マリーさん」を「マリー」に直された。生真面目だ。サテライトスタジオは一ツ木通りのガラス屋から大きな厚い硝子を借りて来て作った。重い硝子を数人で持って遅刻坂を登るのは大変だったが懐かしい思い出だ。

ターレ

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ついに築地から問題の豊洲へ市場は移った。閉場間際の感動の築地体験で走り回る姿に目を見張った「電気運搬車」も例外的に場外を自走して引っ越したそうだ。その新聞記事で「ターレ」と呼ばれていることを学習。語源はturret truckで、小回りが利くように駆動部が円筒状になっていることからイタリア語で小さな塔を意味するtorrettaから名付けられたのだそう。意外な建築用語つながりが面白い。

gargery

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2003年にキリンビールの新商品のパイロットショップ[gargery house]を南青山に設計した。gargeryは料飲店のみで販売されrhytonと称する専用グラスで楽しむスタウト。 heartlandの時と同じように立ち上げのチームに参画させてもらったので思い入れも深いのだが家では飲めないので「マイ・スタウト」にはなっていない。そのチームで知り合ったBさんとはfbで再会して彼の「自撮り劇場」が愉快なのですっかりファンになっていた。駅貼りのポスターの前で自撮りをしてドラマのある映像を創り出しているのだが、私などはお気に入りのポスターを撮るだけでも人の眼を気にしてしまうのだから、彼の大胆不敵な所業には感嘆してしまう。ネット上でけっこうな人気を博しているようでついに初めての個展が渋谷のんべい横丁で開催された。3坪ほどのカウンター空間の後ろの怪しい急な階段を登った不思議な空間が会場で狭いからということもあるけれど満員御礼。暫く別の店で飲みながら空きを待った。お気に入りのコもたくさん写っていてうれしい。何よりも十数年ぶりのBさんとの再会がよかった。たくさんの興味深い出会いもあった。のんべい横丁もこうして内に足を踏み入れてみると存外魅力的な飲食世界だ。楽しかった。オイルサーディン缶ごとあたためもコンビーフマヨネーズ添えもよかった。

栃の実

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「荘」の「峠」で珍しい栃の実に出会った次の日に新宿御苑に行った。秋の長雨が途切れた後のくっきり晴れ上がって少し暑いくらいの御苑は気持ちよかった。台風由来の折れた枝葉があちこちに散らばっているのを見て気持ちがざわついた。ガイドマップにある「セイヨウトチノキ」に吸い寄せられるようにいつもはあまり歩かない路を進んだ。路をはずれて付いて行くと前日カウンターの上で出会った実がいっぱい散らばっていてうれしい土産に。秋、ですね。中には栗とよく似た実があり、徹底的に渋抜きをすれば食べられるので食糧難の時代には救荒作物となっていたそう。写真は[bigdog house]に集まったお気に入り。楽しい。

my whishlist

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フェイスブックの使用には少なからず弊害があるようで学生たちの多くはfbを離れて(fb傘下の)インスタに移動しているが、うるさいくらい溢れている情報に紛れている信頼できる人のおいしい店情報は相当な確率で役に立つ。そうしてnotesのwhishlistに記録されていた八丁堀の「ロダン」にやっと行くことができた。洋食屋系の「かつカレー」の先ずはデザインにノックアウト。ハヤシに近い暗褐色に淡い辛子色のライン。おいしかった。お店の雰囲気もあたたかくていい。スタンプカードをいただいてしまった。某誌編集長のNさんありがとう。本郷の「えぴてん屋」もよかったよ。どうでもいいことだが私の外食条例は先月の改正からカレーもカツもチェーン店以外のものは対象外となっている。

荘 栃 峠

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大塚聡さんと小西恵さんが細工町に設計した集合住宅「荘(かざり)」に開業した焼き鳥屋「峠」に行った。宵闇に溶け込んだ黒い外壁の建築の1階角から漏れ溢れる明かりに優しく迎えられる。飾りを削ぎ落とした外観がそのまま続く抑制されたインテリアが私には心地いい。モノトーンの空間の中でコの字の白木カウンターが映える。酒の品揃えに店のこだわりがある。当然常温の酒はない。近頃流行のヌーベルではなく直球勝負。大将の人柄が伝わってくる旨さだった。カウンター奥にさりげなく置かれた見慣れない木の実は栃の実だった。幸せな心持で店を後にした。私の建築にもいい店が入るといいな。

my back pages

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美味しい焼き鳥の後LPが聴ける神楽坂のバー家鴨社に寄った。ジャズの店は多いがここではロックも歌謡曲もあるのがユニーク。入った時はアグネスチャンの英語のカバーがかかっていた。PPMのDay Is Doneなんか歌ってたんだ。3年ぶり4回目なのだがマスターがすかさずディランのAnother Side of Bob DylanをだしてくれたのでB面を所望。満席のほかの若い客には申し訳ない気もするが、うれしい。1964年のギター1本の粗い歌声をスピーカー正面の特等席で楽しんだ。その中の1曲My Back Pagesは珍しくキース・ジャレットが演っていて、次はそれ。見事な選曲。ドライ・マティーニがぴったりだった。ここのはオリーブ別添え。私はmy back pagesというよりto ramonaの心地のよい夜。

1968

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grutto pass #14。歴史的建造物を鞘堂方式で保存する大谷幸夫の千葉市美術館で「1968年 激動の時代の芸術」。ネオルネッサンス様式を抱え込む前時代的建築の中で体験する激動の時代の芸術。17歳だった、よく覚えている。受験勉強の外のものには一瞥もせず歩んできた私は日比谷高校闘争を機に自分の周りを見始めた。都市・建築に目覚めたのもこの頃だ。その「切断」の証拠を細やかにかつ多面的に収集した展示は見応えがあった。あの熱さがなにものだったのか50年が経ってますます分からない。思わず閉館までいて、カタログを買おうかと迷ったが、記憶だけに留めておくのもまたよし。写真は浜野安宏プロデュースのmugen以外はNGなので新宿御苑の帰りに出会ったささやかなデモの記録。こんなことでいいはずはない。

印刷博物館

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grutto pass #13。神楽坂に来たついでにトッパン本社に付属する印刷博物館。上のホールは瀬川裕美子さんのリサイタルで何度か来ている。オーデュポンの「アメリカ鳥類図譜」の梟がみごとだった。これでスタンプラリー7エリアの5を達成。いけるかもしれない。写真は秋の新宿御苑。

RIP. Charles Aznavour

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Charles Aznavourが10月1日に94歳で亡くなった。Bob Dylanはアズナブールを“one of the greatest live performers”と評価していて、彼が作曲したThe Times We’ ve Known (原題Les Bons Moments)を2度歌っている。私は2度目の2009年4月8日パリ公演をその場で聴いている。美しい歌だった。客席には彼もいたそうだ。私の51回になるディラン体験のなかで海外はこれ一度きり。ラッキーだったと思う。写真はデスクの上のbluestar、園芸の世界では丁字草と呼ばれている。すっかり秋だ。Dylanの合州国ツアーがフェニックスから始まった。夏のツアーの最終日に登場した2曲が残りさらに2曲が新登場しているがシナトラナンバーはなく基本構成は踏襲されているようだが意外に大きな変化は2004年以来1213回もバックを務めてきたサイドギターのStu Kimballがいないことだ。プロの世界で個人的事情による編成変更は考えにくいから、ボブによる計画的変更かもしれない。いずれにせよ早く音が聞きたい。ツアー2日目もまったく同じ選曲だったが、初めの2,3日は少しずつだが曲を入れ替えるのが常なので、これは稀有なことだ。

鴨鴨鴨鴨鴨

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鳥の群れはおもしろい。親子というわけでもなさそうだが仲がいい。鳥の一日は日暮れで終わるから傾いてきた陽を受けながら寝床を思案し始めているのかも。

二軒家penthouse

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設計した[二軒家アパートメンツ]に事務所を移してもう15年が過ぎた。日影規制の隙間をぬって屋上の芝生を歩いてアクセスする不思議なペントハウスを作ってオーナーの趣味の空間としたのが効いている。日常生活と切り離された空間なので人が集まる格好の場となっていて、そこを舞台にさまざまの縁が生まれた。そんな縁の仲間が集まってフィレンツェ仕込みの肉焼きの達人が仕切ってほぼTボーンだけでトスカーナを飲んだ。炭火だから厚さ5pがかりかりのレアで焼ける。一人500gがぺろっとなくなり追加のワインも何本も空けて楽しい時間を過ごした。おいしいものも酒もたいせつだが結局は人。幸せな夜だった。写真はオーナーの息子さんのかつての宝物のシルエット。部屋には私と音楽の趣味の重なり合いが深いオーナーのLPが並んでいて、エンドレスで流れている音楽にアーサー・アレクサンダーが混ざっていたりするのも居心地の良さの理由かも。

雪客

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神田川には真っ白な鷺もいた。チュウサギかな。鷺はセッカク(雪客)という味わい深い名もあるそう。北宋の文献に由来するそうだが、なんかわかるな。ちなみに鶴を仙客、白鷴(雉の一種)を閑客、孔雀を南客、鸚鵡を西客として合わせて五客だそう。鷺と言えばアニメの「銀河鉄道の夜」の暗闇に捕らえられる鷺の白さは印象的だった。猫が鷺を無数に捕まえて袋にしまっているのだから面白い。段ボール箱のどこかにこのDVDがあるのだが。

マナバシラ

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池澤夏樹「ワカタケル」では初見の日本語との出会いを楽しませてもらっているが、昨日はついに鳥が登場した。マナバシラ。ググったらすぐに鶺鴒の古名であることがわかった。ツツ、ニワクナブリという古名もあるそうだ、日本語も奥が深い。キギスも出てきたがこれは雉。スは鳥だそうでだからキギス、カラス、カケス、ウグイス。メは「群れ」でスズメ、カモメ、ツバメ、シメ。おもしろい。小説の中身は「愉楽にて」の時に味わったような後ろめたさはないが、今のところ鴻池朋子の挿絵がいい。鶺鴒ならと中野坂上で降りて神田川を渡るところで思ったとおり出会えた。小さな歓び。鶺鴒は大昔から身近にいた鳥のようでwikiにはたくさんの異名が載っている。イシクナギ、イモセドリ、ニワクナギ、イシタタキ、ニワタタキ、イワタタキ、イシクナギ、カワラスズメ、オシエドリ、コイオシエドリ、トツギオシエドリ、ツツナワセドリ。トツギオシエドリも池澤の創作ではなかった。

郷さくら美術館

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grutto pass #12。中目黒の現場のすぐそばにある現代日本画の美術館。「ごう」ではなく「さと」と読む。桜の目黒川近くなので桜もテーマにしている。ついでにちょっと寄ってみたら眼福になった。圧倒的だったのは加山又造の「淡月」。大御所過ぎてほんとうは苦手なのだが別格だった。もう1点遠くから吸い寄せられた猫の絵も加山だった。加山と言えば、ワークショップ時代に成田空港の出発ターミナルのフードコートを設計した時に、その吹抜け側にある加山の大作に失礼があってはいけないと「屋台」のテントの形状に上から口を挟まれた苦い思い出がある。題を忘れたがタゲリ(田鳧)という初めて名を知る珍しい鳥と出会えたのもうれしい。チドリ目タゲリ属で鴫と属違い。幅8.4mもある「黒斑犬腹掻キ・黒猫耳掻キノ図」は題を含めて楽しいが、加山とは違う世界を求めて何かを模索しているということが私にも分かる。美術館のリノベーションはblue studio。普通の建物のファサードに桜をモチーフにしたマークのスクリーンを取り付ける手法は手堅い。ただしマークが好みに合わないせいで建築も私のテイストには合わず、パスがなかったら絶対に入らなかったに違いない。絵は写真に撮れないのでこんな意地悪な写真しかない。

臨海鴫波紋

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海浜公園の「なぎさ」は潮が上がって干潟がなかったので臨海公園の鳥類園にも寄ってみた。案の定、汽水池でアオアシシギが餌を漁っていた。珍しい鳥に出会うとついどアップにしてしまいがちなのだが、「100年前にカワセミを撮った男」を思い出してワイドアングルでも撮ってみた。風を受けた水面と肝心の鳥のバランスが取れているのだろうか。

居住空間コース

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photo by S.Hashi

居住空間コースでの実践に基づく「宮脇檀 手で教える 教育者 宮脇檀へのオマージュ展」を遍く巡回している「宮脇檀 手で考える 建築家 宮脇檀のドローイング展」に合体させた展覧会が日大生産工学部で開かれている。居住での設計教育の密度の濃さが視覚化されている。オープニングに合わせたシンポジウムは居住OGの新建築住宅特集編集長西牧厚子さんが仕切った「穴が開くほど見る─建築写真から読み解く暮らしとその先 宮脇檀特別版」。宮脇さん亡き後居住を率いてきた中村好文、居住OGの鍋島千恵に阿部勤、藤村龍至を加えた4人が選んだ映像を睨みながらのトークは興味深かった。その後の懇親会で盛り上がった後の居住製図室での飲み会こそ居住、いい時間だつた。日大のなかでの居住の存在意義が表現された展覧会になっていると思うが、それを言葉に置き換えなくてはいけないと思っていたら、居住空間コースの創設に関わられた元生産工学部教授浅野平八さんのブログに的確な文章が載せられていた。ぜひご一読いただきたい。今となっては、厨房、椅子、照明器具、書籍がある居住製図室がやはり要、ということだろう。

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木下道郎 ・ 建築家
詳しくはworkshop-kino.com

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