

枯枝には落ち損ねた枯葉もまだわずかに残っていて遠くから見ると鳥のように見えてしまうことも少なくないけれどこれらの影は三つとも鳥だった。慎重にズームしてみたらスズメとは違うスズメ大の鳥。モズとは違うかな。よく晴れた新宿中央公園の寒い朝。仕事場に通うのもまた楽し。

[bigdog house]の通りに泉幸甫さんの住宅ができた。 [doghouse]の通りにも泉さんの住宅があったからこれで2組目の奇遇ということになる。50mくらいの距離でキッチンの窓から目視できる近さだ。もっと近くには椎名政夫さん宮脇檀さんもあるから建築家率の高い界隈ということになる。ハウスメーカーの家も少なくはないが道幅5.4mの碁盤の目なのと多くの家に樹木が多いので街の雰囲気は悪くない。鳥もたくさんいる。のどかだ。件の住宅の現場監理は居住空間コースの教え子だが現場ではまだ会っていない。

冬の京の旅。大徳寺聚光院特別公開と並ぶもう一つの目玉は若冲。なかでも京都国立博物館の生誕300年特別陳列は見事でした。解説がわかりやすく丁寧で若冲の奥深さ愉快さが今までになくわかったように思います。やはり若冲も最後まで挑戦し続けている。59匹の犬が描かれた「百犬図」は問われるままに数えてみましたが4匹数え損ね。ユーモラスな「果蔬涅槃図」では若冲がどれかわかったような気がしました。作品の写真は撮れないので端正な窓割りを通しての京都遠望。

冬の京の旅。大きな声では言えないがCasaの特集が役に立った。麩屋町のおでんや和久傳の朝めしは旧い京の伝統の中でしたたかに生まれる革新。Casaならではの最新情報なのだとは思うけれどそればかりではと知り合いの京都通にも教えを乞うた。大昔に体験したところ、数年前に来たところ、ネットで探り当てたところも入り混じって本当は大好きなスタンプラリーにならかったところは成長の証かな。写真は和久傳「丹」の2階。設計は横内さん。カウンター越に白川が見える。サッシからもカウンターからも離して架けられた横桟の向こう側が赤く塗られていて外から「丹(あか)の帯」としてアクセントになっている。中からは糸のように細い一筋の丹が見えている。和久傳とは思えない不慣れな接客のおかげで建築にばかり関心が行ってしまったが、旅館にでも泊まらない限りまともな朝めしは少ないというマーケットの読みは当たっている。

冬の京の旅。今回の3日間は始まりの松尾大社と締めの瑞峯院に重森三玲の庭。鶴だの亀だのの見立てを基本にした固い定型の世界の中での型破りが刺激的だ。松尾大社の「蓬莱の庭」(長男との合作)に写実的な亀の彫刻を置いたのは三玲なのだろう。写真は「即興の庭」のお気に入りショット。こういう三玲が好きだ。

冬の京の旅。あてもなく彷徨うのが旅というものだとは思うのだけれど、時間に区切りをつけざるを得ない生き様なのだからと言っているうちに、ほとんどの時間が予約で埋まっていった。予約の端緒は大徳寺聚光院の特別公開で暮れも押し迫ってから思い立ってぎりぎりすべりこんだ。普段は京博に貸し出されている永徳などをあるべきところで観るのもよかったが合わせてその並びに千住博を体験できたのも収穫だった。岩絵の具は半永久的に持つのだそうだが例えば200年後にこれらの空間はどのように観られているのだろうかと悠久の時の流れにも想いをよせた。大徳寺で合わせて拝観できたのは龍源院、桐院、大仙院、瑞峯院。大徳寺という小さな宇宙にそれぞれの個性が秘めやかに存在しているのがいい。最後に訪れた瑞峯院の庭は重森三玲。写真は桐院。人がいた方が絵になる。

日曜日には待ち合わせをして会期前のギャラ間に行ってしまった。エレベーターの扉がうまく開かなくてやっと休みであることに気づいた。近くの21_21での「デザインの解剖展」はあろうことか長蛇の列。ギャラ間のついでに寄ろうと思った程度だったのですぐに諦めた。サントリー美術館は休み。夜は麻布十番の「たき下」に決めていたから無駄な行程は避けたかったのだが寒いから歩き過ぎるのは避けることにして「野老朝雄個展」の外苑前へ移動し気まぐれ街歩きの始まり。ワタリウムの「ナムジュン・パイク展」は90年代以降の後半の部。高橋アキ、ヨーゼフ・ボイスなどもいて懐かしかった。剥製のコヨーテは写真に撮りたかったなあ。英文タイトルを見て剥製がstuffedなのを学習。詰めもの料理と同じじゃないか(笑)。写真は呑川の剥製ではない水鳥。水面の青が好きだ。