
8月31日が月10日目の休肝日になり7か月連続10日以上休肝の新記録が達成できた。2003年に記録した6か月連続を14年ぶりに更新する偉業だ(笑)。飲みに誘われたのを断ったり、美味しいものを食べながら飲まなかったりするのは禁じられているから、そう簡単なことではないのだ。8月は旅をしていた日が多く休肝可能日が少なかったので、月末は背水の陣に追い込まれ、うっかり飲んでしまった夢までみた。晦日は仕事に専念していてサッカーの試合があるのを忘れていたのが幸いしている。長崎の件の店で縁のある吉田麻也が活躍していたのがうれしかった。これで年間の休肝日率が.323。体調はすこぶるいいのでこのペースを堅持していくつもりだ。写真は長崎のヴィッラでの一献。ほどよい距離感の厨房で高校同期がマグロ鮨風サラダを仕上げてくれている。シチリアの白によくあって美味しかった。今朝は7時半から洗足池の集合住宅の撮影。朝の部を終え翡翠に会いに洗足池に来ている。北山さんの「モダニズムの臨界」を精読しながら夕の部に備える。



小値賀ぶらぶら 3。小値賀の宿泊は「古民家ステイ」「民泊」が用意されているほか港近くには旅館がいくつかあった。3か所に6棟用意されている「古民家ステイ」のうち「日月庵」と「先小路」に1泊ずつ泊まった。布団が敷かれる和室の他は大きめのワンルームになっていて、自炊できるようにしっかりした厨房が用意されているほか洗濯機もある。窓から漁港が見える「日月庵」には黒塀で囲まれた庭があって、檜の湯舟につかりながら庭を愛でることができる。「先小路」は路地に建つ町家をリニューアルした空間で下階に広い土間と寝室、上階に主空間がある。鍵ひとつでプライバシーをロックするホテルとは違い、街とのつながりが曖昧でそのせいかいつになく寛いだ夜になった。どちらも街中に位置しているのだが、街はひっそりとしていて「スーパー」という名のよろずやと魚屋を兼ねた酒屋だけは開いている。食べ物屋は基本的に予約制か出前式だから街の賑わいはない。普通なら「泊まる」場所に付属している「食べる」「飲む」「遊ぶ」が島中に分散隠遁していて街全体で「泊まる」機能が成り立っている。朝食、鮨などのデリバリーもある。「米、野菜セット」には島味噌、小値賀魚醤も付属していて、幸せな島のご飯を楽しんだ。来島者をこの仕組みの中に溶け込ませるために「おぢかアイランドツーリズム」がきめ細やかに機能している。このサービス提供機能が、外注ではなく内在であることが「ツーリズム」による再生計画の成否に大きくかかわっていくのではないかと思う。上五島に新しい魅力を付け加えている人気ホテル「マルゲリータ」が、運営を「際コーポレーション」という全国的企業に「外注」しているのと好対照である。ネットを駆使した格安宿泊に慣れ親しんでいる私は正直なところ1泊¥29,000-を高いと感じていたが、そういう考え方では街は成長して行かないということがよくわかった。小値賀はわたしたちの国にも未来があるかもしれないということを語っているのではないか。やっと軌道に乗った「おぢかアイランドツーリズム」がさらに豊かに成長していけるように及ばずながら応援していきたいと思う。
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富士吉田から富士急行・JRを乗り継いで勝沼の[chateau mercian]へ。こちらは竣工7年になり商業施設としても順調に成長している。細かいところはいろいろと気になることもあるのだが放っておいても大丈夫。成長著しい日本のワインをしっかり楽しんできました。

インターンシップの学生たちを連れて富士ミネラルウォーター[aqua gallery]に。私にとってはギャラリーのインターネット予約による一般公開の初体験でもある。「大自然の中に建つ工場に突き刺さる一直線のギャラリー」という空間特性を活かした、富士山の水への思いを伝えることを主眼にした展示に仕上がっていた。目立った告知をしていないのでまだ来訪者は多くはないそうだが先ずはこれでいいと思う。

[洗足池の集合住宅]が竣工して8月末引渡。高校同期との仕事の縁に感謝。ペントハウスは屋上テラス付のパーティールームになっているから同期で集まれるとうれしいな。自宅から40分緑道を歩いての現場通いも楽しかった。近くの洗足池には鳥もたくさん。

小値賀ぶらぶら 2。[長崎のヴィッラ]のプロジェクトで長崎に足繁く通って、海の先にある五島列島にも興味を持ち福江島までは訪ねていた。上五島の北の端の小値賀に惹かれたのは「おぢかアイランドツーリズム」を主導するAlex Kerrの「方法」に興味を持ったのがきっかけである。上五島が隆起によってできたリアス式海岸線が特色であるのに対し小値賀は海底火山の噴火でできた島で高い山はなく平坦である。小値賀本島では古くから米作が行われ港が発達し海を渡って様々な人が渡来した。上五島が五島藩(福江藩)に属したのに対し小値賀は平戸藩(松浦藩)で歴史的にもかなり差異がある。訪れる前は「上五島」で一括りにしてしまっていたものが、地勢を目の当たりにして氷解していった。そう言えば現代でも航路は小値賀は佐世保・博多とつながり、上五島は長崎だ。ちなみに遣唐使は小値賀に寄港しているが朝鮮通信使の航路からははずれている。面積12.22 km²の小値賀島は、暑いので徒歩はあきらめて、軽のレンタカーで半日でまわった。お気に入りの伊是名島(14.12 km²)豊島(14.4 km²)とほぼ同じ大きさだ。橋で西側につながっている斑島では牛が放牧されていた。碧い海を背景に印象的な白い鳥居は玉石甌穴。波で浸食された岩穴の中に球状の石が収まっている。天然記念物。
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小値賀の鳥 6。小値賀から佐世保への船旅の景色は素晴らしかった。忽然と一羽で現れて暫し並走するカモメ。Jonathan Livingston。快晴で海は美しく穏やかだったがわずか1日半後に航路左の平戸沖で押し船が沈没し2人が亡くなっている。