台風の影響は無く上越線後閑駅は晴れ。青田の美しい谷をバスを乗り継いで法師温泉到着。二十数年前と何も変わっていない。あの時まだ這っていた長男を写真に収めた渡り廊下に続く階段もそのまま。やはり変わらない法師之湯に浸かっていい時間を過ごした。風呂の底のごろた石の下から湯が沸き出ている。写真は玉城之湯で1982年のフルムーン・ポスターで有名な1895年造の法師之湯の方はもっと薄暗い。夜からは雨。今もまだしとしとと降っていて2階の和室の木建を開け放つとせせらぎの音と湿った山の香りが心地よい。すぐ迫る山を越えれば苗場なのだが上越線に戻って湯沢に向かう。夕暮れにはディランだ。たいせつなものはなにも変わらない。幸せだ。
ボブディランがフジロックについにやってくる。「ボブのニュース」サイトからの引用だが、主催するスマッシュの日高正博氏によると「今まで何回も何回も話をしてきて、過去に土壇場でキャンセルくらったこともあったけれど、今年は不思議なことに『出たい』って言ってくれた」のだそうだ。過去の例だと大物はトリと決まっていたのだが今回のディランは18:50-20:20。東京に列車で戻るぎりぎりの時間設定だ。特別なセットリストになるとうれしいのだが、最近の欧米でのロックフェスティバル出演ではただ曲数が少ないだけで曲目の変化はない。極東ツアーの初日27日ソウルのセットリストではオープニングとアンコール前の曲が変わった。シナトラナンバーは1曲だが前ツアーも初日はそうですぐに3曲に増え最後まで変わらなかった。大勢は変わらずというところか。出演の29日の前日の今夜は苗場から峠越え7kmの法師温泉に泊まる。心配なのは私たちの旅程と連動しているかのような台風12号の挙動。直撃はないが山は荒れるだろう、無事に宿に着けますように。いずれにせよこのまま通り過ぎて当日は台風一過となるはず。写真は来日記念盤として日本で企画されたlive 1962-1966。みごとな選曲でデビューからプロテスタントソングの旗手を経てロックに転向する5年間を聴かせてくれる。筋金入りファンが言っても説得力はないけれど、ディランの凄さが身に浸みてわかる2枚組だ。
但馬・丹後の旅の最後は丹波美山。出石、伊根、美山と重要伝統的建造物群保存地区3連発。時間を止めてしまう戦略を選んだ町はそれぞれの問題を抱えているのだろうけれど、観光と日々の暮らしのあいだの不協和音があからさまだったのが美山だ。耳慣れない言葉を話す観光客が多かったからだけのことなのかもしれないが、印象は悪く伊根を早く切り上げたことを悔やんだくらいだった。高速を降りてからのアクセスも含め里山のランドスケープはたいへん美しいのに残念。不都合なモノをなんとかトリムアウトして印象とはかけ離れた美しい記録が残った。藍染工房+ギャラリーとして使っている茅葺の民家はいいと思った。ここでは藍染のブックカバーをお土産にした。観光客が増え続けることで日常生活が圧迫されてしまい街が虚構化する問題から抜け出す方法はまだよく見えない。
但馬・丹後の旅。丹後半島の先の方にある伊根に続く海沿いの道からは対岸の大浦半島の美しい山影が楽しめる。現実的な話で恐縮だが、その美しい山の奥には高浜原発がある。伊根から直線距離で25km。66km先の敦賀原発とのあいだにさらに大飯、美浜、もんじゅと連なっている。すべてが福井県だ。税収の比較的少ない過疎地を狙い撃ちにしたあこぎな政策が美しい自然に紛れ込んでしまっている。この「原発銀座」は東京からは離れているが京都との距離は60kmしかない。フクイチの惨劇を体験してしまった私たちにとって原発との訣別は自明のことと思われるのだが事態は異なる方向に動かされようとしている。日米安保条約、地位協定、原子力協定が存続する限り流れが変わらないのは確かなのだろうが、トランプ登場以降の世界の動きをみていると、ただ傍観しているだけでは事態は悪くなるばかりだということも判る。丹後半島の根元にある日本三景の一つ「天橋立」が見える海岸沿いにはワイナリーがあって、海を背景にした葡萄畑が美しい。垣根式で栽培されている品種はサペラビ、レジェント、セイベルなど耳慣れない。日本のワインはどんどん成長しているようだ。