
富士の麓の枯川の河原。鳥を追う眼が捉えた儚げな春。

桜の頃は風のように去り。散った跡もなかなかの風情。

富士吉田はかつて富士登山信仰を支える宿場町であった。火祭りの舞台となる本町通りには大鳥居があり、富士山に向かって南北に走る通りの両側に「御師」と呼ばれる宿坊が並んでいた。敷地割が東西に細長いのが特徴で通り沿いに石柱が2本門のように立ち、そこから建物までは長い路地となっている。そのかなり特異な敷地割りのまま宿場町としての機能を失った街は社会の変化に適応仕切れずに「廃墟の街」の様相を呈し始めている。何対もの石柱や蔵などが独特の味を醸し出してはいる。時の積み重ねを活かせるかどうかの瀬戸際なのだろう。愛おしい。

新宿御苑の桜は多種多様で開花時期に細やかな差があるので、蕾から満開そして葉桜まで同時に楽しめるのがうれしい。酒類の持ち込みが禁止で「花見」ができないのが幸いして純粋に「桜見」ができる。植物だけでなく庭園の様式も多様で統一感には欠けるが居心地よい都市公園である。桜で賑わう中で若緑の欅も美しい。ここで「桜を見る会」を開いてほしくなかった。

富士の麓の現場、引渡し完了。終電まで飲みました。締めの写真は富士山。

日本木造遺産展@富士フィルムフォトサロン東京。藤森照信・藤塚光政「日本木造遺産」の写真展。建築を選ぶ視点が素晴らしい。表面的な美ではなく「歴史、空間と構造、建立の構想」を主眼にしたことが鍵だろう。奈良井宿・中村邸、屋根付き橋、菅の船頭小屋といったヴァナキュラーな木造に光を当てたことも大きな成果だと思う。時の流れの中に生き続ける木造遺産の美しい写真を見ていると、風土から生まれた木造建築の伝統が私たちの文化の大きな財産であることがよくわかる。藤塚さんと出会ったのはワークショップ時代の「立川の家」の撮影の時で、細かい邪魔モノを気にかけず手持ちのカメラですいすいと写し取っていく様が印象的だった。私の中でその俊敏さの記憶と「日本木造遺産」を繋げるのは時の経過も絡んだ不思議な体験。そういえば展覧会の船頭小屋には藤森さんが写っていました。写真は六本木の歩道橋から見下ろして撮った染井吉野。これも日本です。