勝沼ぶらぶら8。雨の予報を覆したのがうれしかったのか、勝沼ぶどう郷駅からメルシャンを越えて勝沼醸造そしてルミエールまで遠足。途中の民家で明らかにポーズをとる甲斐犬ならぬ柴犬。車だったら見落としていただろう。
勝沼ぶらぶら6。旧い民家を改装した甲斐ワイナリーの土間空間の囲炉裏端の籠の隼人瓜が色鮮やか。お土産に一ついただいて浅漬けにし旅を思い出す小さな幸せ。
勝沼ぶらぶら5。帰路のかいじは超繁忙期にしか姿を見せない「グレードアップあずさ色」の189系。懐かしい。現行かいじの間の抜けたカラーリングとは違って旅気分がいっぱい。ラッキー。この手の話に唯一合いの手を入れてくれていたワークショップOBの太田憲治さんが53歳で逝去された。最近は会ってはいなかったがフェイスブックでは時々コメントを交換していた。猫、花、空、鉄道、好みは意外に共通項が多い。彼が好きだった中山美穂がある建築家の家で映画を撮影していて公開されたら大喜びだったはずなのに先に逝ってしまった。さみしい。今夜が通夜。冷たい雨になる。
勝沼ぶらぶら4。フルーツパークからは勝沼の東側の山並みが見える。うまくすればその向こうに富士山。霧煙る夕闇にホテルの塔に灯がともるとトスカーナのように見えなくもない。
勝沼ぶらぶら3。フルーツパークの銀杏の樹で距離を置いて羽根を休める鴉二羽が絵になっている。時々羽繕いをしたりしながら少なくとも10分以上気を通わせていた。番に違いない。
勝沼ぶらぶら2。 シャトー・メルシャン[wine gallery]。束杭をデザインモチーフとした鋼管が等間隔に並ぶ。葡萄棚が繁って、居心地の良いテラス空間に育っている。
勝沼ぶらぶら1。1日目:曇り時々晴れ、2日目:雨。予報は雨だったから少しは晴れ男気分。収穫がほとんど終わった葡萄畑の葉はまだ赤くなる手前。棚を支える束杭の連続が印象的。
銀ブラの締めは室伏さん設計の[mille nuits]のはずだったのだが閉まっていて大ぶりな野良猫だけが迎えてくれた。代わりに行ったアナログバー[nica]でかけてくれたディランのI Shall Be Releasedの音が素晴らしかった。以前のように邦楽がたくさんあるわけではないのだが、ほとんど忘れかけていたアン・サリーの新盤Bon Tempsに出会えたのは収穫。Hirth MartinezのAltogether Aloneの次が「瀬戸の花嫁」。Amazon扱いがなくてまだ届かない。
1933年に建った明治屋京橋ビルが残ってよかった。同じスケールの新しいビルを隣に建てて残りの容積をガラスのタワーに押し込む戦術はいい。数十年か経って古いビルの耐用年数が尽きてまた同じスケールの箱に建て替わる。そうやってゆっくりと変わって行く街の方がいい。そのころにはもう建て替える必要が無くなっているかもしれないが。
gallery IHAでの「建築的冒険者たちの遺伝子」出版記念パーティーで元菊竹事務所の遠藤さんに薦められた西山卯三展へ。目が眩むようなディテールドローイングがあるわけではなく、怖ろしく細かいメモ、漫画、収集物などの記録群が陳列されていた。偏執狂に近い。私にもほんの少しだけれど似たような性癖がある。面白かった。
東京では1970年から始まった銀座歩行者天国も50年近く経ってすっかり地に足が着いたようだ。いろいろな人々がそれぞれ思い思いに場を楽しんでいる。街路に開かれた建築空間がほとんどないのはずっと変わらないから、時間をかけて人間の方が成長したということだろうか。60年代のある瞬間に味わった街路の解放はあれから絶えて久しい。
GSIXの屋上の周りすべてにサッシが立ち上がり視線が開放されているのはいい。僅かな勾配の石の床面を音もなく流れる水の細波も好きだ。裸足の子どもたちが戯れる様が絵になっていた。植栽は残念ながらランドスケープデザインになっていない。案合図に描かれている塔屋と現実の落差はかなり大きい。「デパートの屋上」でこんなことを感じることができたのは大きな進歩だろう。
銀座の大型商業施設GSIXをやっと体験。谷口さんのファサードはガラス面が反射で消失して強い水平の匿名性が浮き上がる。商業施設に欠かせない個々の記号性は暖簾が担保する。理性による革新。中身がそこまでのレベルにはないのはあたりまえ、か。
不愉快なエリアを抜けて行くカットハウスは麻布十番のはずれにあってもう30年も4月1日と10月初旬に通い続けている。習性だ。ここに来るとランチは十番の真ん中に在る「たき下」になる。たまたま並んでいた西洋人4人組が遠くに停まっている車のフロントガラスに反射した陽の光で壁のシルエットになった。みんな上手に箸を使って焼き魚を食べていた。食べ放題がうれしい大根おろしにかける醤油の量がどう見ても多すぎるのだけは気になった。
六本木ヒルズには出来るだけ近寄らないようにしているのだが年に2回だけカットハウスに通う時にはたいがいここを通る。街に積み重ねられてきた重い歴史を白紙に清算して創り出された空間は、砂漠に唐突に出現したショッピングモールのようなもので、薄っぺらで地域性は皆無だ。漂白されてしまったエリアから周りのまだなにがしかの名残のある界隈へと通り抜けたあたりで出会った男の子。子供らしい無造作はティガー(かな?)には心地いいだろう。
六本木ヒルズ。合州国の組織設計事務所に頼んで生まれたファサードは侍の兜がモチーフだと言うから笑ってしまう。低層部には大手企業の宣伝のための空間がひしめきあっていてそこそこに賑わっているから商業的には及第点なのだろう。こんなに不愉快な処でも足が止まってしまうこともあるから街歩きは忙しい。まあなんでも繰り返し並べると目は驚くものだ。ウヰスキーはストレート、百歩譲って水割り、と思い込んでいるので、我が意を得たり。
「あゝ、りんだうの花が咲いてゐる。もうすっかり秋だね。」と言ったのはカムパネルラだった。映画「銀河鉄道の夜」の細野晴臣の音楽も好き。ますむらひろしによる猫仕立てもはまっていた。段ボール箱のどこかにDVDがある。季節だ。ジョバンニや鷺捕りのおじさんは元気だろうか。
「パンパスグラス」という異国情緒の名も悪くないけれど「白銀葦」はより深く秋を感じさせる。早いもので変わってもう4年目になる朝の路の秋にシロガネヨシが優しい。あたりにはムクドリやオナガやヒヨドリも棲んでいる。すれ違うだけの犬たちがみんな挨拶をしてくれる。Long Ago Far Away。
長谷川逸子さんのgalleryIHAで開かれた「建築的冒険者の遺伝子」出版記念パーティーには89歳の槇文彦さんも出席されてスピーチ。元気をいただいた。本に再掲された氏の論考「漂うモダニズム」は読みごたえがある。長谷川さんが用意してくださったおつまみは食べるのが躊躇われるかわいさ。添えられていた秋をおみやげにさせていただきました。小さな空間に大学同期4人というのもおかし。思わぬ縁も見つかりました。稔り多い佳き夕べ。
小値賀ぶらぶら 8。ブログを読んでくれた「おぢかアイランドツーリズム」の方からいただいた丁寧なメールに追伸が添えられていた。
「小値賀島にも1つだけ教会はございます。ただ外観は普通のお家で、中に祭壇がありマリア様は野崎島の教会のものです。小値賀にもごくわずかですが信者さんがおり、日曜日にはミサが行われています。見学も可能ですので、次回は是非行かれてみてください。」
確かに教会建築はないけれど肝心なことは見誤っていたということだ。それはそれとしてこんな気持ちのこもった応答には再訪で応えるしかないな(笑)。写真は小値賀の野崎島で出会った、名も知らぬ蜘蛛蝉を糸巻きにするノ圖。
仲條正義さんは天衣無縫自由自在だがかわいい犬はいない。
上野公園にはペット連れもたくさんだが紐猫は珍しい。
上野公園で出会ったオウム。一仕事終えて家路につく飼い主はどこか誇らしげ。