ぐずついた天気が続いています。重い原稿を背負い込んだ私にとっては励ましの雨かな。Dylanの極東公演はソウルまででどうも中国は流れたようです。bobdylan.comには6月の東欧公演が発表されました。最近の曲I Feel a Change Comin’ Onの中にJames Joyceが出てくるのに影響されて「ユリシ−ズ」か「フィネガンズ・ウェイク」でも読んでみようか、でも長いな、原語じゃ無理だろうな、などと考えていたところに丸谷才一による新訳「若い藝術家の肖像」A Portrait of the Artist as a Young Manの新聞広告が飛び込んできました。曰く「あの難解とされた名作は、こんなにも面白かった。見事な日本語訳、詳細な注、清新な解説・・・」。一発でノックアウト。その日のうちにオーダーしてしまいましたが、車中で読むというのには(内容が)重すぎ、仕上げなくてはいけない原稿がたまっている時にゆっくり読み始めるわけにもいかず、積んだままになっています。この子たちは本は読みませんが仲良しです。
縁あって35年前の勝沼のヴィンテージが手もとにあったので、週末に事務所で開けてみました。つまみのメインはそのままの野菜に梅塩添え。早くも鰹が出ていたのでバルサミコと醤油で軽く和えてクレソンを山のように合わせました。淡い褐色にまで熟成した甲州を堪能した後に続いたのは概ね日本で生まれたワインでした。35年も熟成したワインは初めての体験。まあ、国産だからと、それほど大きな期待は持っていませんでしたが、筋道を立てて理解しようとする頭を超えて、時の積み重ねの妙味に私は浸ってしまいました。満足。
ソウル2004年冬¶の旅で出会ったネコたち。三毛ではなく二毛のようでしたが日本にいるネコと変わりません。半島には昔は虎がいたんだっけな。今年の虎はダメだろうなあ。
1962年のレコードFolkways FH5013。Dylanのほかでは聴けない曲が4曲含まれているBroadside Ballad vol.1は生半可な中古屋通いの私では出会うわけもない高嶺の花でした。何年か前から米国内ではSmithsonian Folkways がCDRとしてオンデマンドで提供していましたが、4曲のうち2曲を別のCDで入手できたということもあり、追跡の手を緩めていたところ、なんと新宿のタワーで偶然に発見。めでたく[doghouse] libraryにおさまりました。オリジナルの解説や楽譜がpdfで添付されているのはうれしいのですが、スキャンがまっすぐでなかったりするところが、アメリカ仕事だなと思いました。写真は[doghouse]の食卓の花。器もかわいい。
吉岡裕子さんのリサイタルで出会ってから気になっていたメンデルゾーンのピアノ三重奏曲第一番が届きました。ピアノRubinstein、チェロPiatigorskyそしてヴァイオリンHeifetz。1950年モノラル録音。私が生まれる前の演奏です。素晴らしい。米BMG盤が送料込みで\830。こんな値段なのはSONYに吸収される前の商品だからなのでしょうか。そう言えば私が最初にのめりこんだレコード音楽がHeifetzのベートーベンヴァイオリン協奏曲。指揮はToscanini。幼稚園のころ毎晩寝る前に必ず全曲聴いていたのだそうです。3分と待たずに寝入ってしまう今の私に不眠を楽しんだ過去があったとは信じられません。[doghouse] trioは何に集まっているのでしょう。
サイデンステッカーと松本道弘の「日米口語辞典」では「縁の下の力持ち」をunsung heroと訳しているのだそうです。福岡伸一の「生物と無生物のあいだ 」で学習。面白い本でした。受験勉強としてただ覚えるだけだった「生物」がこんなに魅力的だったとは。事実だけをただ正確に読ませたって、凡人にはちっとも頭に入らないということですね。生命の複製のしくみの構造的美しさにはほとんど感動です。もののついでにちょっと触れられていた「日米口語辞典」、手に入れたいと思ったけど、難しいようですね。雪の[doghouse]。集められた雪は「縁の下」で時間をかけて溶けて行きます。我が家のunsung heroかな?
うちのスタッフがカリフォルニアに
Doghouse Wineryというのがあるのを教えてくれました。つくっているワインの名前もdoghouse。介助犬のラブラドールも飼っているようです。楽しいですね。手頃な値段のようですし、私の好きなジンファンデルもあるようだし、[doghouse]のハウスワインにしたいものです。写真は[doghouse]のフクです。
インドへの里帰りで年明けからお休みだったcochin nivasが再開しました。今月は台湾への里帰りで吟品がお休み。まぐろ納豆定食に通っていたお店と漬け丼に通っていたお店が相次いでなくなったということもあり、ランチの選択肢が豊かとはいえない今日この頃の二軒家界隈です。昨日はバースマティ・ライス +キーマ・カレー+半熟目玉焼き。三種の混ざり合い加減が絶妙でした。
まもなく雨水。寒い日が続いています。今朝は三鷹も雪。勝沼への車窓の景色もモノクロームでした。
やっとBen Sidranの新作CD “Dylan Different”が届きました。Dylanの作品を消化しきって自分の音楽にしてしまっているのが魅力。わかったようなわからないようなタイトルの意味がよくわかります。本人もこういうカバーはうれしいはずです。どちらもいい顔だな。Rainy Day Women #12 & 35になんとGeorgie Fameが参加しています。
この背中は私にいろいろなことを語りかけているように思えるのだけれども、実のところ何も考えてはいないのだろうなあ。昨晩は新宿駅で帰りの中央線快速に乗ったところで「人身事故」が高円寺駅上り線で発生。車内放送がいつになく的確でした。負傷者の救出、車両の安全確認などステップごとに逐一状況を知らせ、並行する緩行線も同じように止まっていることを伝えてくれたので、ほとんどの乗客は余分なストレスなしに平静に待つことができました。あってはいけない事態にすっかり慣らされてしまっている、この状況の重苦しさは、すばやく呑み込んでしまいました。ネコは幸せだなあ。
ゆっくり朝日の朝刊を見ていたら「転落、上を列車通過」という記事。助けに降りた人も含めて無事だった「奇跡的な」出来事とのこと。ほんとに「負傷者」だったんだ。だからみんな落ち着いていたのかも。人はおもしろいなあ。
瀬戸内寂聴の「奇縁まんだら」、今週は小林秀雄。書かれたものを読んだことさえありませんが、近づいてはいけない評論家としておぼろげに私の中に生まれつつあったイメージに、いつもながらの軽妙な筆致で描き出された人間像がぴったりと重なって、まさに膝を叩きました。河豚を食べに行って先ず並んだほかの酒肴に激昂とか所望したブランドと違うブランデーを出されて激怒とかのエピソードは、ただの酒癖が悪いオヤジであれば虫の居所が悪かったといった程度のはなしですが、「目利き」としての大看板を背にした傍若無人だとなると感じが悪いでは済みません。その大看板の裏にある「おれがいいと言えば、その品は、よくなるんだ」を瀬戸内さんが披露してオチにしてくれたおかげで気持ちすっきり読み終えることができました。この手の輩のまわりには近づかないにこしたことはありませんが、出くわしてしまったとしても尻尾は絶対ふらないぞ。写真は新聞を愉しむ私の傍で床暖の温もりをむさぼる動物たちの手、いや足かな。彼らはいつも一点の曇りもなく幸せかな。
サンフランシスコのCCAからフルブライト招聘教授として日本に来ているレビン氏を
[laatikko]に案内しました。建築を把握するのに不可欠な都市のコンテクストを先ずは把握してもらうために東中野で落ち合ってcommunity pathでもありcats alleyでもある蛇のようにうねる狭い暗渠を一緒に歩いていくことにしました。いい機会なので数年前まで仕事場だった
[balcon]の外観をチェックし、最近ご無沙汰だった「十番」でたまご入りタンメンと再会。まだ残っている中央線の旧型車両もカメラにおさめ関根さん設計のフートンにも寄りました。
[laatikko]での会話は室名と機能の関係性や公/私とpublic/privateの違いにまで及び、通訳の学生さんの存在に感謝することになりました。充実した時間でした。レビン氏にとって[laatikko]の空間体験は写真・図面から読み取っていた以上に刺激的だったようです。住宅の質を壁とドアで仕切られた部屋の数で計るような文化のなかで育った彼が、小さいが故に見えてくる住まいの本質を探ろうとしていました。私たちの文化が培ってきたかつての住まいの知恵が、もう探さないと見つからなくなっているのは悲しいことです。一年経った[laatikko]にさほど大きな変化がないのは、設計段階での建築家と住まい手の会話の深度のおかげだろうと、私たちは納得しました。
ソウル2004年冬¶引き続き民俗村、農家の内部。床も紙貼りです。床下のオンドルからの煙が漏れてこないように油を浸みこませた紙がぴっちりと継ぎ目を重ね合わせて貼られています。袋につめた米糠で磨いて艶を出すのだそうです。いい風合いです。ソウルで泊まった古い民家を改装した小さな中庭を囲む韓流旅館の床も油紙でした。
Bob Dylanの初めてのホワイト・ハウスでの演奏は噂されていたJoan Baezとの共演ではなくウッドベースとピアノだけの伴奏でのアコギ弾き語りでした。The Times They Are A-Changin’。この歌が書かれて四十数年。悟りの境地に達したかのような穏やかな演奏でした。12日の1時まではYouTubeで観ることができたのですが今はブロックされてしまっています。残念。かわりにオリジナルが収録されている1964年のLPジャケット映像です。珍しいモノラル盤。うちにあるのはレプリカで、これは
ディランの公式レアリティを網羅したサイトからダウンロードしたものです。
ここからアクセスすれば今ならビデオを観ることができます。
scan by Hans Seegers
上が1963年、撮影はPPMのMaryの夫だったBarry Feinstein。下が2010年ホワイトハウスで。
photo by Pete Souza
昨日は朝から晩まで日大生産工学部の卒業制作優秀作品選考会。それぞれ全力を出しつくした作品があるものはさらに輝きを増しあるものは想いを伝えきれないまま評価されていきます。最優秀作品「難民都市」に込められていた建築への情熱に元気づけられました。ありがとう。巨大な模型が圧倒的な存在感でした。建築は面白いもの。この作品をまったく認められないという同僚もいて、打ち上げの居酒屋で議論が白熱。最後まで盛り上がりました。
上が「難民都市」。下は優秀作のなかで模型が特に目を引いた2作品。
1985年に始まったハートランドのおつきあいが今も幾重もの環となって続いています。黒姫「竜の子」のご縁もあるそんな仲間のひとりの門出を祝って懐かしい友が集まりました。キーは「竜の子」と「産山珍道中」。ひときわ泡の細かいおいしいハートランド生を楽しんだお店は20年前のfrom Danceの時に特設屋台でお世話になった人のお店。写真は記憶の手がかりに私が用意したハートランドオープンの時の矢萩喜従郎さんの作品。あっという間に時が過ぎてしまいました。
Jack Frost。訳せば「冬将軍」。ワシントンはたいへんなことになっているようです。こちらでは暖冬ゆえに厳しく感じる時々の北風くらい。Jack FrostはDylanの最近のCDにプロデューサーとして記載されているDylan自身の変名でもあります。写真はもう20年以上前にニューヨークで手に入れたペーパーナイフ。冬の夕方の陽で美しい影ができあがりました。本体は恐竜のかたちをしています。真鍮の表面に細かい鏨の跡がたくさんあって、金属なのに柔らかい感じです。
風が強いので外に出ると寒いけれども、陽ざしは春の気配を含み始めているように感じます。ガラスの暖かい側ではかわいいランが小さな花をつけています。素性が定かではなく名前はわかりません。「春の予感」。いい歌だったなあ。
午前中に事務所に出る用事ができた帰りに、荻窪の魚屋に寄りました。鰊を酢漬け用に三枚におろしてもらって、メインは何がいいかなと楽しんでいる眼にとびこんできたのが、近海本マグロの兜。早く来てよかった。オーブンでこんがり焼いてレモンを絞って、チリのカベルネをぐいぐい。満足。ほかに蕪のスープと定番のポモドーロ。手際良く仕上がりました。
節分猫という言葉があるように、今頃は猫の「季節」。うちの犬たちもクウに常ならぬ関心を示しています。そのせいかどうか、同じ向きのなにかに見入る2匹。仲良しです。
ソウル2004年冬¶引き続き民俗村。農家の内部。壁は紙貼り。日本の古民家と似た雰囲気もあるのですが、梁も壁の紙も家具も見慣れたものとはどこか違っています。でも、懐かしさを感じる落ち着いた空間です。
立春。ということは昨日が節分。かわいい鬼が箱から出てきています。Wikipediaによれば1985年から2024年までに限っては2月3日が節分。2024年の閏年以降は2月2日の節分も出現し2104年以降は2月4日も出現するのだそうです。
初雪はさっと通り過ぎました。翌朝のあたりの様子は犬が喜ぶというほどのものではなく、歩き易くなっている轍の頭上に絶妙な間合いで雪解けの滴を落としてくる幾条もの電線を恨めしく思いながら、先ずは散歩の好きな犬たちを歩かせました。木々の枝に僅かに残る雪が朝の陽を受けて輝いていました。
鷺の別称の「雪客」を「うたの動物記」で習いました。鳥に雪は鷺で魚に雪は鱈。日本語はいいなあ。ひらがな、カタカナ、漢字、アルファベット。表音表意とりまぜて、節度なく、というか、しなやかに思いを綴っていきます。2月に入ったところで東京では久しぶりの雪が降り始める中、
吉岡裕子さんのピアノを聴きに行きました。ショパン、メンデルスゾーンとその姉のファニー・メンデルスゾーンなど。会場でいただいたブックレットには彼らのあいだで交わされた書簡も添えられていました。メンデルゾーンのピアノ三重奏曲第一番。第二楽章が気に入りました。
quantum、量子。Dylanの公式サイトで興味深い投稿に出会いました。
Changing of the Guards: A Quantum Song。1978年発表のStreet Legalの一曲を量子論に関連付けて読み直しているのです。「お遊び」なのですが、そこに登場するquarkが実に面白い。受験の物理で習ったかどうかさえ記憶にはなく、つい最近の小林さんと益川さんのノーベル物理学賞受賞を機会に出会った程度だったので、ネットで少し学習を試みました。さっぱり解りません。が、6種あるquarkと呼ばれるものに、動きを表すup、down、位置を表すtop、bottom、素性を表すstrange、charmと3組の対をなす名前がついている「しくみ」に惹かれてしまいました。この要素にからめてなら詩にもなるし、思想にもなるし、哲学にもなりうる。でも物質の最小限の要素であるquarkがどうして?・・・・。もう少し勉強しておくんだったなあ・・・・。驚いたことにこのquarkという単語はJames JoyceがFinnegans Wakeのなかで造った言葉がもとになっているとのこと。知の世界は際限なく広がっていくのだなあ。そう言えばDylanの詩のなかにも最近Joyceが出てきていたなあ、とアタマは時空を駆け巡りながら、SACD版のStreet Legalを味わいました。1978年の初来日の時とほぼ同じつくりこまれたケレン味あふれる演奏も曲によってはきわめて上質であることを確かめました。Changing of the Guards の歌詞。冒頭のSixteen yearsの後に続く掴みどころのないSixteen banners united over the field。その後さらに繰り広げられる不可思議な世界はquantum云々というよりJoyceなのかもしれません。目の前ではフクが昼前の惰眠。ある、ない、あるかないかわからない。モノの本質は奥が深いんだなあ。