
佐野ももさんのcomma設計のTENTOSHIにぶらり。法律や予算とぎりぎりのところで折り合いを付けたことが建築の潔さでわかる。店と建築が早くも馴染んでいるのはプログラムの勝利だろう。だからこの「江戸式ウォレット」が自然に私のお気に入りに加わった。カードにもコインにも擦り寄らない凛としたつくりが美しい。使い始める前の暫くはまた犬智慧だったかと苦笑いもしたが、すぐに慣れた。我ながら枯れてきたものだ(^^)。

何度も近くで目にはしていたけれどもこの歳になって始めて訪れた浜離宮がよかった。これは冬季養生中の「お花畑」。石油精製物であることを無粋に主張する青いネットが無数に立ち並ぶ丸太のおかげでなんとか絵になっている。ネット下目線の方がインパクトが強いけれどこちらの紗のようにも見える青いグラデーションも悪くない。

[bigdog house]のダイニング・カウンターにある日めくりの犬が犬のいない暮しの穴を埋めてくれる。師走になってひときわ可愛かったのがこのチワワ。余計なモノを被せられた当惑を目の前の飼い主への気持ちで乗り越えて表情に曇りはない。となりのフィギュアは手作り。其処此処のお気に入りが家を楽しくしてくれている。2016年はいろいろな節目の年。もうすぐ年が変わる。

鳥は仲がいい。行動はほとんどが番いでする。根津美術館庭園のこの鴨は珍しく独り佇む。ほとんどモノクロームに近い冬の色を反複する水面は彼の気持ちも映しているようだ。番という字は「かわるがわる田に種を蒔く」からの成り立ちだそう。さらに転じて番いや蝶番は一対を意味する。「つがい」味わい深いことばだ。彼の場合彼女は後ろの茂みの向こうにいる。

呑川緑道を都立大学駅あたりから南に歩いて緑が丘を過ぎると暗渠が開放されてただの放水路が露出する。眼の高さまであるネットフェンスで囲われた味気ない水路が実は鳥たちの天国だ。邪魔なフェンスのない橋の上から眺めていると時の経つのを忘れてしまう。鳥の集団には頭目がいて、水辺で佇む時の見張りや、川面を滑る先導をしていたりする。その混じり気のなさを眺めている幸せ。

その根津美術館には円山応挙展の最終日に滑り込んだ。モノクロームでも極彩色でもない金銀を背景にした鮮やかな色が好きだ。朝顔、藤色くっきりに砂子のぼかし。うまいなあ。応挙のあとの庭がまたいい。湿りと翳りに柔らかな陽がさしている。小さな池に浮かぶ小舟があの場を語っていた。余談だが「たなばたさま」の「きんぎんすなご」は不思議な呪文のようだった。

晴天が続いているからかもしれないけれど散歩路の鳥が賑やかだ。ここ幾日かはとりわけ鵯。島(いい言葉だなあ)があるというより時候が種ごとに分かれている気がする。だから土日の写真は圧倒的に鵯。樹から樹へ羽根を広げて飛び渡るあいだの一瞬が弾のようになるのは手持ちコンデジでは捉えられない。枝に留まったら間髪を入れずに撮らないと悟られて姿が消える。何枚かの鵯から一枚選ぶとしたら根津美術館の庭でのひとときから。背景で勝ち、かな。