
アーモンド味の落雁風。東横線渋谷駅で5階分の階段を登るのは不愉快ではあるのだがからだには悪ないようだ。JRで座れることは稀だがメトロは悪くても渋谷からは座れる。からだには明らかに優しいのだがエネルギー消費は当然少ない。

ピーナッツ菓子の箱に味があるがよく見ると1942東亞旅行社台灣支部発行とある。久しぶりの新宿駅から歩きは秋の爽やかさだったせいもあって快適だった。天候によってルートを変えることにしよう。渋谷から先の定期券を買っていないのは正解だな。

台湾土産3題。パイナップルケーキは日本でも有名。京都で体重計に乗ってみたら定常体重を4kg近く超えていた。夏の旅先での幸食が主因なのはわかっているのだが、通勤時の東横線渋谷駅での不条理な乗り換えを避けてメトロ中野坂上から歩くようになって歩行距離が2割強減ったことも影響しているに違いない。ということで昨晩から新宿歩きに変更。



小値賀ぶらぶら 6。「古民家ステイ」で寛ぎ過ぎたせいか往きの乗船が大慌てになってしまった。宿から歩5分のところにある桟橋に走り着いた時には船が僅かにだが離れていたのだ。駆けている途中に町の人に「乗っていきなさい」と声をかけられて逡巡した私はさらに遅れて、再接岸してくれた船に息せき切って文字どおり飛び乗った。小値賀は17の島からなっていて、うち11が今は無人島。そのうちの1つ野崎島へは1日2便の町営船で渡る。7時25分発で往き、15時10分発で帰るしかない。7時間の滞在で闇雲に歩き回るには島は大きい(7.36 km²)のでガイドツアーに参加した。野崎島には「閉校になった学校」を改修した「自然学塾村」があって簡易宿泊ができるほか島に関する情報を提供している。この町営施設は平日はここに泊まっている小値賀島出身のガイドさんと通いの若者の2人で運営されている。若者が地元出身ではないのをもどかしそうにしていた地元のガイドさんからじっくり話が聞けてよかった。一連の「小値賀ぶらぶら」に書いていることの多くはここでの学習が元になっている。隆起による2つの険しい山に海底火山による玄武岩の土壌が合わさっている。北部にある「沖ノ神島神社」は五島列島で最初の神社で古くから神官が島に住み着いた神々しい島だったようだ。そういった背景があって小値賀島とは異なりキリシタンが隠れ暮らすことができたのだろう。明治も終わるころ禁教が解かれて鉄川与助により建てられた野首教会は1971年には信者が不在となり、町による修復を経て現在は「おぢかアイランドツーリズム」が管理している。天敵のイノシシは人が適宜退治をして、野生のキュウシュウジカが芝の上を走り回る環境が整いつつある。港近くの野首集落では住まい手を失った家屋が朽ち廃れさみしい情景になってしまっている。日常の暮らしがなくなってしまった野崎島は、小値賀島とは違って観光地として未来を模索していくことになる。
fbのmichio kinoshitaアカウントにほかの写真を数枚アップしています。

蝶は動きがせわしないから写真に撮りにくいのだがこの個体は花でもないところになぜか長逗留。キチョウEurema hecabeシロチョウ科キチョウ属。

洗足池の脇の模擬水田の清流にはアメンボがいた。写真は簡単ではなく肉眼とは違った絵になる。Hemiptera Gerridaeカメムシ目アメンボ科。水黽、水馬、飴坊、飴棒といった当て漢字がおもしろい。

洗足池の現場が終わって洗足池から遠ざかることが寂しい。冬場は鳥だらけだったのが夏のあいだは見た目は静かだがしばらく落ち着いて目を凝らすと生き物はたくさんいる。最後の一日の5時間の読書の合間に捉えたいきもの。これはおそらくカルガモAnas zonorhynchaカモ目カモ科マガモ属。下に隠れている羽根の青が好きだ。