野崎島

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小値賀ぶらぶら 6。「古民家ステイ」で寛ぎ過ぎたせいか往きの乗船が大慌てになってしまった。宿から歩5分のところにある桟橋に走り着いた時には船が僅かにだが離れていたのだ。駆けている途中に町の人に「乗っていきなさい」と声をかけられて逡巡した私はさらに遅れて、再接岸してくれた船に息せき切って文字どおり飛び乗った。小値賀は17の島からなっていて、うち11が今は無人島。そのうちの1つ野崎島へは1日2便の町営船で渡る。7時25分発で往き、15時10分発で帰るしかない。7時間の滞在で闇雲に歩き回るには島は大きい(7.36 km²)のでガイドツアーに参加した。野崎島には「閉校になった学校」を改修した「自然学塾村」があって簡易宿泊ができるほか島に関する情報を提供している。この町営施設は平日はここに泊まっている小値賀島出身のガイドさんと通いの若者の2人で運営されている。若者が地元出身ではないのをもどかしそうにしていた地元のガイドさんからじっくり話が聞けてよかった。一連の「小値賀ぶらぶら」に書いていることの多くはここでの学習が元になっている。隆起による2つの険しい山に海底火山による玄武岩の土壌が合わさっている。北部にある「沖ノ神島神社」は五島列島で最初の神社で古くから神官が島に住み着いた神々しい島だったようだ。そういった背景があって小値賀島とは異なりキリシタンが隠れ暮らすことができたのだろう。明治も終わるころ禁教が解かれて鉄川与助により建てられた野首教会は1971年には信者が不在となり、町による修復を経て現在は「おぢかアイランドツーリズム」が管理している。天敵のイノシシは人が適宜退治をして、野生のキュウシュウジカが芝の上を走り回る環境が整いつつある。港近くの野首集落では住まい手を失った家屋が朽ち廃れさみしい情景になってしまっている。日常の暮らしがなくなってしまった野崎島は、小値賀島とは違って観光地として未来を模索していくことになる。fbのmichio kinoshitaアカウントにほかの写真を数枚アップしています。
2017/09/14(Thu) 09:10:05 | doglog
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木下道郎 ・ 建築家
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