舞鶴への旅2009年冬¶宿泊は港を抱え込むように北東に伸びる半島の外海側の小さな入り江にある野原漁村の民宿。まわりは山に囲まれ僅かに残った海沿いの土地に民家が並んでいます。一番手前に並んでいるのは漁船を格納する舟屋。一世帯が海辺に舟屋、少し高いところに母屋をたいがいは二戸持っています。

舟屋の軒先に漬物用の大根が干されていました。以前はこの写真のところまで海で、有名な伊根の舟屋と同じようになっていたのだそうです。

小雨まじりでまだ暗い朝早く。入り江の外から戻ってくる漁船が美しい山並みを背景に映えていました。

食事は港に揚がったズワイガニと魚。カニには漁船名が記されたリストバンド付き。大きな声では言えませんが観光客用の「海鮮市場」で売られている高いカニのほとんどはロシアやカナダから運ばれてきたものだそうです。カニもさることながらタイ、ヒラメ、アワビ、おいしかったなぁ。
港に停泊している軍艦を目の当たりにするまで、舞鶴が軍港であることを迂闊にも忘れてしまっていました。舞鶴鎮守府は1901年開設。「鎮守府」という単語も私の語彙集からは消失していました。残されている煉瓦建築は実はすべて海軍の遺産なのです。軍港に不可欠なものの一つが飲料水源。リアス式海岸を形成する急峻な山の中に立派な水源が残されています。少し離れた水源からの水を軍港に配水するための配水池がこの建物の内部におさまっています。悪くないプロポーションです。

配水池そのものは地面より下にあります。地上部分は低く抑えられていて細いメンバーのスティールのトラスは頭があたってしまいそうな高さです。濃いめのグレーの屋根材に細い白い線材の取り合わせがいい。軽い屋根とは対照的に下には深さ5mの重厚な凹が構えています。

下に降りると日常では体験することのまずない不思議な空間に圧倒されます。凹の内部には煉瓦の壁が互い違いに3mほどの間隔で配されていて、細長い空間は折り返しながら延々と続いているのです。写真の正面部分の床の窪みから送り込まれた水が、長い折り返しを流れながら異物などを沈殿させ浄化されて、配水されていっていたのでしょう。ギャラリーに最適の空間ですね。

舞鶴煉瓦倉庫。野外コンサートが開かれたり映画の撮影に使われたりするのがこの三方を囲まれた空間。

右側の煉瓦棟の内部が圧巻でした。群れから離れて暫し空間に浸りました。感動。

この空間の半分は現在「浮遊」というテーマで、浜辺でひろったものがぶらさげられています。意欲を評価することに吝かでないのですが、空間の圧倒的な迫力の前では生半可な発想はほとんど無力なのだなと思いました。
Bob DylanのLittle Drummer Boy のビデオがアップされました。なかなか味のある映像です。ここをクリックすると見られるはずです。
舞鶴に残された煉瓦建築はそれぞれの時を刻んでいました。重要文化財の指定を受けたということもあって、役割が与えられるのを待っている、なんとも言えない儚い感じの空間。新聞紙で貼り固めた窓周りがこうして露わになっています。新聞紙は昭和42年の表記があるものを見つけました。


舞鶴に向かう新幹線から美しい富士を捉えました。車中は
irei blogで伊礼さんに教わって以来気になっていた駅弁「貝づくし」を食べ終えるころ。東京駅ですぐには見つけられなかったのですが、JR東海ラチ内でしか売っていないことを教えてくれた売店のお姉さん、えらい。細かい字が並ぶ無粋なラベルを読むと貝類としてはハマグリ、イタヤガイ、アサリ、シジミが使われていました。納得。

建築学会の長寿命建築特別研究委員会にいる高校同期のI君のお誘いで舞鶴の煉瓦倉庫群を見学。忘れかけていた過去を体感する濃密な旅になりました。大量の写真を整理する前に先ずは煉瓦倉庫の写真を一枚。手前にある縞模様は石と煉瓦で敷きわけられた荷車用路。使われなくなって土の下に隠れていたものを保存運動で掘り出したものだそうです。
