海軍遺産

港に停泊している軍艦を目の当たりにするまで、舞鶴が軍港であることを迂闊にも忘れてしまっていました。舞鶴鎮守府は1901年開設。「鎮守府」という単語も私の語彙集からは消失していました。残されている煉瓦建築は実はすべて海軍の遺産なのです。軍港に不可欠なものの一つが飲料水源。リアス式海岸を形成する急峻な山の中に立派な水源が残されています。少し離れた水源からの水を軍港に配水するための配水池がこの建物の内部におさまっています。悪くないプロポーションです。
091209a.jpg
配水池そのものは地面より下にあります。地上部分は低く抑えられていて細いメンバーのスティールのトラスは頭があたってしまいそうな高さです。濃いめのグレーの屋根材に細い白い線材の取り合わせがいい。軽い屋根とは対照的に下には深さ5mの重厚な凹が構えています。
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下に降りると日常では体験することのまずない不思議な空間に圧倒されます。凹の内部には煉瓦の壁が互い違いに3mほどの間隔で配されていて、細長い空間は折り返しながら延々と続いているのです。写真の正面部分の床の窪みから送り込まれた水が、長い折り返しを流れながら異物などを沈殿させ浄化されて、配水されていっていたのでしょう。ギャラリーに最適の空間ですね。
091209c.jpg
2009/12/10(Thu) 06:29:58 | doglog

Re:海軍遺産

引揚記念館では言葉を失いました。
[doglog](2009/12/11(Fri) 07:31:26)

Re:海軍遺産

うちの父は、海軍でした。小沢冶三郎長官と共に、舞鶴にも訪れているかも・・・?
上野ぱんだ(2009/12/10(Thu) 17:32:05)
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木下道郎 ・ 建築家
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