街段
Sicilia series。カルタジローネのランドマークは140段の大階段によって作り出される軸線だ。大階段は市役所広場から始まり、登り切った右手に教会があり鐘楼が屹える。階段の途中で交差する道がいくつもあるにもかかわらず踊り場が一切ないという深いこだわりがこの空間をより力強いものにしている。やはり妥協はいけない。蹴上には地域特産物のタイルが貼られている。観光客も子供達もこの非日常都市空間を楽しんでいた。
Caltagirone
Sicilia series。「ヴァル・ディ・ノートの後期バロック様式の町々」として世界遺産に登録されているノート地方の真ん中に位置するカルタジローネ。1693年の大地震の被害は他の同地方の都市と比較すると軽かったので都市組織には中世の痕跡が残っている。ミラッツォからは海岸沿いの高速道路をメッシーナ、タオルミーナ、カターニャと走って東側からアクセス。標高600m前後の2つの丘の上にできた坂だらけの街。鐘楼から見た景色はイタリア山岳都市の典型だ。大通りから裏に入った路地は曲がるごとに狭くなり、すれ違えないほどの隙間も少なくない。ちょうど下の川崎毅の陶芸の世界のようだ。
涼子
2年ほど前、阿部勤さんのフェイスブックに「涼子が帰ってきた」で始まる一連のコメントが連載された。夢の中のはなしであるとの断り書きがどこかに消えてしまうほどのリアリティに弄ばれて涼子はラブラドールのトンボと共に私の中で一人歩きをし始めた。犬の散歩のために訪れるイケメンの韓国人青年には疎ましささえ感じた。その時に阿部自邸の「中心のある家」で撮影が行われていた映画「蝶の眠り」がやっと公開された。2度空間体験をさせていただいているあの魅力的な建築空間で撮影された映画を観ないわけにはいかない。主演は中山美穂で私の理解では彼女はアイドルだし、タイトルには甘い抒情が漂っていて、ポスターなどからも軟弱なメロドラマの感じがする。ま、建築を観るのだな、と覚悟していたのだが、見応えのあるいい映画だった。全篇を通して「中心のある家」が登場するから主役は建築かもしれない。あの建築が映画の舞台として魅力的なのは、積み重ねられた永い時間が丁寧に写し取られているからだと思う。川崎毅の陶芸の街(写真:2017年に阿部勤宅で撮影)もさりげなく登場。安心して眠っているさまを韓国語で「蝶の眠り」と言う、と映画の中で種明かしされる。主題は重苦しいけれども、記憶を失くした人や動物たちが集まる森が遠くにあって、そこではかつて愛し合った相手のことは分かるという一抹の救いも用意されている。上映は明日17日までらしい。
黒蛙
Sicilia series。母が好きな蛙の置物を旅の隙間に探すのを楽しみにしている。黒曜石が採れるリパーリ島でふと立ち寄った店に黒い蛙がいたのはラッキーだった。陶器で有名なカルタジローネでは同僚の小川先生から譲り受けた蛙を彷彿とさせる一群に出会いはしたのだが彼らは大きな壺の淵にくっついていた。
Lipari
Sicilia series。ミラッツォから船で渡ったリパーリはリゾート風情がいっぱい。人々も犬も猫も自由に街の生活を謳歌している様子だった。レストランのグルテンフリー対応は年々進化しているようで、特にここではパスタばかりでなくグリッシーニ、パンも小麦を使わないものが用意されていた。
火山
Sicilia series。ミラッツォの北の地中海に浮かぶエオリエ諸島の一つが火山で有名なストロンボリ。どういうわけか長男が小さいころ火山が好きで学習に付き合わされて名前を鮮明に覚えている。1991年6月に普賢岳の溶岩流で亡くなったクラフト夫妻の原点がストロンボリだそうだ。現在も火山として活動中で丘の上の城跡から望遠で捉えた写真に写っている雲のようなモノは噴煙のはずだ。