海浜公園の「なぎさ」は潮が上がって干潟がなかったので臨海公園の鳥類園にも寄ってみた。案の定、汽水池でアオアシシギが餌を漁っていた。珍しい鳥に出会うとついどアップにしてしまいがちなのだが、「100年前にカワセミを撮った男」を思い出してワイドアングルでも撮ってみた。風を受けた水面と肝心の鳥のバランスが取れているのだろうか。
photo by S.Hashi
居住空間コースでの実践に基づく「宮脇檀 手で教える 教育者 宮脇檀へのオマージュ展」を遍く巡回している「宮脇檀 手で考える 建築家 宮脇檀のドローイング展」に合体させた展覧会が日大生産工学部で開かれている。居住での設計教育の密度の濃さが視覚化されている。オープニングに合わせたシンポジウムは居住OGの新建築住宅特集編集長西牧厚子さんが仕切った「穴が開くほど見る─建築写真から読み解く暮らしとその先 宮脇檀特別版」。宮脇さん亡き後居住を率いてきた中村好文、居住OGの鍋島千恵に阿部勤、藤村龍至を加えた4人が選んだ映像を睨みながらのトークは興味深かった。その後の懇親会で盛り上がった後の居住製図室での飲み会こそ居住、いい時間だつた。日大のなかでの居住の存在意義が表現された展覧会になっていると思うが、それを言葉に置き換えなくてはいけないと思っていたら、居住空間コースの創設に関わられた
元生産工学部教授浅野平八さんのブログに的確な文章が載せられていた。ぜひご一読いただきたい。今となっては、厨房、椅子、照明器具、書籍がある居住製図室がやはり要、ということだろう。
いつの間にか月曜指定の休日が4日にもなってしまったおかげで、大学で月曜日に授業を持っていると、休日出勤が多くなってしまう。ちなみに2019年だと土日以外の休日14日のうち11日が月曜日。今年の第3クォーターは8回中3回が3連休の最終日。そんな或る日にたまたま授業が早く切り上がってしまっても急につきあってくれる人はいないし犬も子供もいないので、葛西の海辺に寄り道をして独りぼーっとしている時の一枚。うっかりgrutto passを持ち合わせていなかったので臨海水族園には入れなかった。何も考えずに望遠で鴎を追っていて写った。船、鴎、篊の3点だけ捉えた方がよかったのにとは思うが、気に入っている。
grutto pass #11。銀座一丁目界隈の夕暮れに間ができてしまうので、三井記念美術館に寄ろうと思ってgrutto passをチェックして、17時までなのに今度は気づいた。すかさずfinding museumを開いたらすぐ近くの国際フォーラムになんと相田みつを美術館がある。いくら何でもとは思ったけれど一時間以上バールで待つのはアブナイので思い切って入ってみた。もちろんgrutto pass。先入観をコインロッカーにしまって作品に臨んだけれど違和感はほぐれない。それならばひっかかるわけを探し出そうと余すところなく字を読み2本のビデオも観た。ほとんど宗教に近い尊大さ。それだ。教練の軍人との軋轢から徴兵試験に落ちている。兄二人を戦争で亡くしている。棘は奥深くにしまって文字はやわらかい。美術館の通路には洞窟のような穴が二つ穿たれていてそれぞれ木のベンチが設えられていた。そこに座ろうとは思わない。意外なgrutto pass効果(笑)。
1969年まだ高校生だった頃に東横線沿線に住むようになって以来渋谷駅との付き合いは永い。あの頃は駅前のaaで「じゃじゃ麺」。それから何年も経った2013年の副都心線乗り入れの頃から渋谷駅は「いつまでも終わらない工事中」状態に陥って、通り過ぎる方が無難な駅になってしまっている。駅周辺には巨大な建築がいくつも計画されていてそちらの工事も合わせて進行している。建築家がそれぞれ技の限りを尽くしても全体計画がお粗末だとまともな都市空間にはならないだろう。都市空間に最低限必要なことでさえ「工事中だからまあいいや」の無責任さを見せつけられているから不安が募るばかりだ。車椅子、ベビーカー、トランクの類は渋谷駅乗換に適合していない。13日に駅南側につながるstreamが開業してもその渋谷駅の混沌は何も変わらないが、ビルの低層部分の中にまで街が途切れなく続いて行くように共用部分が屋外になっているのはいいと思った。ファサードにランダムに取り付けられた意味不明の美しくもない白い板切れは、好みを言うことができるなら「きらい」だが、低層部の経済原則に抗った「余白」を正当化するための隠れ蓑なのかもしれないとふと思った。旧東横線渋谷駅の屋根壁が一部遺されていて50年前から付き合ってきた私には懐かしいが、これが意味のある記憶の継承なのかどうかは全体が完成してみないと判断できない。床にある杜撰なフェイクのレールを見ていると不安になってくる。どうでもいいことなのだが鉄道への愛は微塵も感じられない。「インスタ映え」すればいいとくらいにしか考えていないのだろう。おかげで哀感あふれる写真が撮れた。
grutto pass #10。恵比寿に土地を見に行く用ができたので写真美術館に寄ってみることにした。grutto pass対応施設をマッピングしてくれるfinding museumというアプリを見たら近くに目黒美術館があるので中目黒から歩こうと思った。柿の木坂から蛇崩緑道を辿って行ける祐天寺にもマークがある。それなら祐天寺から目黒美術館も歩けばいい。そういう訳で、雲がすっかり無くなったのをいいことに結局家から恵比寿までの散策を楽しんだ。写真美術館の企画展では石田尚志のシングル・チャンネル・ビデオ「海の映画」のmovieとanimationを行ったり来たりする「動画」が興味深かった。仔鹿が死んで自然に還る永い時間をロボットカメラで捉えた宮崎学のseries Death in Nature「冬・ニホンジカ」。雪を被って白い脚のかたちに鳥が留まっている写真に強く惹かれた。雪が解けるとキツネとテンも写っていた。大自然。外に出ると青空で休みの日の人並みの中をlogroad、bridge、streamとぶらぶらして積算歩行距離は16.6kmになつた。写真はstreamの大階段。いつでも若者は敏感だ。
街でなにかを手渡している人に出会うとほとんど反射的に手が出てしまう。新宿駅西口の動く歩道ではフリスクの試供品、清涼飲料、アイスコーヒーなどけっこうありがたいものに出会うこともあるが、いつものように都立大学改札前で手を出したら「赤旗」だった。興味がなくても一応目を通すところが我ながらえらい。敗戦後73年経ってなお米軍が駐留している「敗戦国」日独伊の地位協定の比較に唖然とする。独伊は締結後たびたび改定していて米軍基地内に自国法律が適用され警察権も及ぶのだそうだが日本はこの不条理な関係を耐え続けている。ちなみに国連憲章で「敗戦国」を規定する敵国条項の削除は1995年に決議案が採択されているが手続き上いまだに削除に至っていない。いざ領土問題となるとロシアも中国も「敗戦国」に領土を議論する権利はないと言い始める。写真はブラジル先住民の椅子展から。