釜川

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大谷へは宇都宮から行った。駅にまだ賑わいがあってロータリーの上にデッキがかかるような地方都市は駅前がみな同じような景色になっているが、ちょっと街に入り込めばまだまだいいところもある。評判の鰻を探しに街をぶらぶらして見つけたのが市街地をくねくねと流れる小さな釜川。護岸や水際がしっかりデザインされていて緑も豊かで気持ちがいい。鳥も魚もたくさんいた。意外に土地に勾配があってせせらぎの音も楽しめる。土地らしさはどこにもまだ残っているのだから駅前を見てあきらめてはいけない(笑)。

大谷

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今年の3月4日の斎藤輝彦さんのコントラバスリサイタルの最後の曲は急逝された支援者に捧げられていた。おそらくアイルランド民謡が元になっている美しい曲は沈みゆくタイタニック号でバンドが最後に奏でていた讃美歌320番だそうで映画「タイタニック」でも使われている。支援者の松岡裕子さんは斎藤さんがらみでも何度かお目にかかっている建築家の松岡拓公雄さんの奥様。今は奥様との思いでだけで埋め尽くされている彼のフェイスブックに載っていた大谷石採掘場跡に強く引き寄せられて大谷にでかけた。圧倒的空間は言葉では説明できないので無数に撮った写真のうちの4枚を載せる。

法師温泉

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台風の影響は無く上越線後閑駅は晴れ。青田の美しい谷をバスを乗り継いで法師温泉到着。二十数年前と何も変わっていない。あの時まだ這っていた長男を写真に収めた渡り廊下に続く階段もそのまま。やはり変わらない法師之湯に浸かっていい時間を過ごした。風呂の底のごろた石の下から湯が沸き出ている。写真は玉城之湯で1982年のフルムーン・ポスターで有名な1895年造の法師之湯の方はもっと薄暗い。夜からは雨。今もまだしとしとと降っていて2階の和室の木建を開け放つとせせらぎの音と湿った山の香りが心地よい。すぐ迫る山を越えれば苗場なのだが上越線に戻って湯沢に向かう。夕暮れにはディランだ。たいせつなものはなにも変わらない。幸せだ。

フジロック

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ボブディランがフジロックについにやってくる。「ボブのニュース」サイトからの引用だが、主催するスマッシュの日高正博氏によると「今まで何回も何回も話をしてきて、過去に土壇場でキャンセルくらったこともあったけれど、今年は不思議なことに『出たい』って言ってくれた」のだそうだ。過去の例だと大物はトリと決まっていたのだが今回のディランは18:50-20:20。東京に列車で戻るぎりぎりの時間設定だ。特別なセットリストになるとうれしいのだが、最近の欧米でのロックフェスティバル出演ではただ曲数が少ないだけで曲目の変化はない。極東ツアーの初日27日ソウルのセットリストではオープニングとアンコール前の曲が変わった。シナトラナンバーは1曲だが前ツアーも初日はそうですぐに3曲に増え最後まで変わらなかった。大勢は変わらずというところか。出演の29日の前日の今夜は苗場から峠越え7kmの法師温泉に泊まる。心配なのは私たちの旅程と連動しているかのような台風12号の挙動。直撃はないが山は荒れるだろう、無事に宿に着けますように。いずれにせよこのまま通り過ぎて当日は台風一過となるはず。写真は来日記念盤として日本で企画されたlive 1962-1966。みごとな選曲でデビューからプロテスタントソングの旗手を経てロックに転向する5年間を聴かせてくれる。筋金入りファンが言っても説得力はないけれど、ディランの凄さが身に浸みてわかる2枚組だ。
 

美山

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但馬・丹後の旅の最後は丹波美山。出石、伊根、美山と重要伝統的建造物群保存地区3連発。時間を止めてしまう戦略を選んだ町はそれぞれの問題を抱えているのだろうけれど、観光と日々の暮らしのあいだの不協和音があからさまだったのが美山だ。耳慣れない言葉を話す観光客が多かったからだけのことなのかもしれないが、印象は悪く伊根を早く切り上げたことを悔やんだくらいだった。高速を降りてからのアクセスも含め里山のランドスケープはたいへん美しいのに残念。不都合なモノをなんとかトリムアウトして印象とはかけ離れた美しい記録が残った。藍染工房+ギャラリーとして使っている茅葺の民家はいいと思った。ここでは藍染のブックカバーをお土産にした。観光客が増え続けることで日常生活が圧迫されてしまい街が虚構化する問題から抜け出す方法はまだよく見えない。

原発

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但馬・丹後の旅。丹後半島の先の方にある伊根に続く海沿いの道からは対岸の大浦半島の美しい山影が楽しめる。現実的な話で恐縮だが、その美しい山の奥には高浜原発がある。伊根から直線距離で25km。66km先の敦賀原発とのあいだにさらに大飯、美浜、もんじゅと連なっている。すべてが福井県だ。税収の比較的少ない過疎地を狙い撃ちにしたあこぎな政策が美しい自然に紛れ込んでしまっている。この「原発銀座」は東京からは離れているが京都との距離は60kmしかない。フクイチの惨劇を体験してしまった私たちにとって原発との訣別は自明のことと思われるのだが事態は異なる方向に動かされようとしている。日米安保条約、地位協定、原子力協定が存続する限り流れが変わらないのは確かなのだろうが、トランプ登場以降の世界の動きをみていると、ただ傍観しているだけでは事態は悪くなるばかりだということも判る。丹後半島の根元にある日本三景の一つ「天橋立」が見える海岸沿いにはワイナリーがあって、海を背景にした葡萄畑が美しい。垣根式で栽培されている品種はサペラビ、レジェント、セイベルなど耳慣れない。日本のワインはどんどん成長しているようだ。
 

伊根

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但馬・丹後の旅。今年のゼミ旅行の主眼はもちろん出石なのだが抑えとしては宮脇さんもデザインサーヴェイで訪れている伊根が用意されていた。以前から行ってみたかったのだが交通の便の悪いところで、2009年に近くの舞鶴に行った時にも対岸の大浦半島の野原漁港に泊まっただけで伊根までは脚を伸ばせなかった。野原にも舟宿が残っていたが伊根とは数も質も比べられない。伊根は1993年の朝ドラの舞台になっていたそうで、2013年の「あまちゃん」以前は朝ドラとまったく無縁だった私は何も知らないのだが、その放送のおかげか意外に一般の人にも知られている。海辺の「舟屋」と山裾の「母屋」に「蔵」を加えた3棟で1軒ができあがっていて、「舟屋」と「母屋」のあいだに「路」が通っている構成はたいへん興味深い。昔は「路」は今とは違う狭いものだったそうで住人は「舟屋」から小舟を使って移動していたそうだ。海辺を抱え込んだ「舟屋」が並ぶ眺めは他所には類がないものだしコンクリート土間が傾斜して海の中に続いて行く不思議な様子に目を奪われてしまう。こんな「舟屋」が成り立つのは干満の差が少ないからだそうで、それは湾の入り口に島が鎮座しているからだそうだ。海辺は浅くて澄んでいるから海が手に取るように身近だ。岸辺に置いてあるのが写っている籠にアワビ、サザエなどを入れて海辺に置いておくのだそう。いいなあ。滞在時間が短かったせいもあり「舟屋」と「母屋」のあいだに道路が走っている肝心な写真を撮り忘れてしまった。

城崎

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但馬・丹後の旅。出石の「宮脇ファン」がつくってくださった旅程は気持ちがこもっていて細やかだった。1日目の夕食は宮脇さんがお気に入りだったという但馬牛焼肉屋。出石から日本海側にかなり行った豊岡駅近くのその店から城崎まで足をのばしてみた。私にとっては志賀直哉の『城の崎にて』というよりは吉永小百合の『夢千代日記』の世界だ。このドラマは亡くなった父が好きだった。ほろ酔い加減で歩いた夜の温泉街はまぼろしのようで写真もおぼつかない(笑)。

中学校

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但馬・丹後の旅。宮脇檀の出石町4作目は出石中学校(1999年竣工)。宮脇さんは竣工を待たずに1998年10月逝去。その名のとおりの谷山川が出石川に合流する中洲のようなところにしっくりと馴染んで土壁色の中学校がある。潤沢な予算でつくられたのびやかな空間に建築家の自己表現はない。先生に案内されて見学する私たちに生徒たちが自然に挨拶をしてくれる。重村さん(いるか設計集団)の小学校と宮脇さんの中学校で学ぶ出石町の子どもたちは幸せだ。15年もお世話になっている日大生産工学部居住空間デザインコースの宮脇さんの縁で初めて訪れた出石からたいせつなことを学んだ。


重伝建

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但馬・丹後の旅。出石の町は三方を山に囲まれ水量豊かな出石川が流れ自然が豊かだ。町には1901年開館の芝居小屋「出石永楽館」もあって紆余曲折を経て2008年から歌舞伎も上演できる小屋として再生されている。片岡愛之助の定期公演が毎秋続いている。20年間にほぼ6件の公共建築を建築家に発注したという実績も含めて経済的にも豊かな町なのだろう。静思堂でのレクチャーの「建築費の財政負担による指標悪化を治水事業の交付税等で乗り切った」くだりを聴いて、暮らしを楽しむ豊かさの基礎にこういった知恵があるのだろうと、ふと思った。出石町には40数軒のそば屋があって「出石そば」が名物になっているが、信州上田市との縁を元にした観光協会(1962年設立)の努力の成果だそう。協会は1998年には「出石まちづくり公社」に発展し出石町は2007年に重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。町民参画でかつ経営的視野を持つ運動体の成立に「静思塾」での交流が大きな役割を果たしているのだろう。

町役場

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但馬・丹後の旅。宮脇檀の出石町3作目は役場庁舎(1993年竣工2005年から豊岡市役所出石庁舎)。コの字に囲われた中庭沿いに2層吹き抜けの「路」が通る。竣工時は中庭は子供たちが遊べる水盤だったそう。集会室だけ平面的に角度が振れていて大きな開口部から隣に建つ町のランドマーク「辰鼓楼」を臨めるように考慮されている。ここでは城下町を活かす会元会長の「観光カリスマ」から宮脇さんと町とのつながりについてレクチャーを受けた。建築はこういう人材も育てているのだ。神戸新聞が私たち一行を取材してくれて翌朝刊に掲載。地域が宮脇さんの建築に熱い思いを持ち続けているようすがわかる。うれしいことだ。

瓦屋根

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但馬・丹後の旅。町家を改装した風情ある「旅籠西田屋」は定員15人。一棟貸しなので20余人ならいけそうなのに男の先生は泣く泣く別宿になった。一緒に泊まれなかったから泣いているのではない。代わりは出石町のデザインコードから逸脱してしまっている8階建大型ホテルなのだ。宮脇さんも無念だろう。そこの最上階には展望温泉があって町を一望できたからと言って許されるものではない。浴室の洗い場にはビニル畳が敷き詰められていて披露宴のための窓のない巨大空間で朝食バイキングの世界だ。せめてもの救いはこれが町はずれに山を背にして建っていることかな。ここから反対側の町はずれの弘道小学校まで歩いても20分くらい。瓦屋根と白壁・土壁の街を鳥の囀りを楽しみながら歩くのは楽しかった。土壁が印象的な出石酒造で「地酒」楽々鶴(ささづる)が造られている。近くに宮脇さんが入り浸ったという珈琲屋が今もそのままあってママが健在だ。サイホンで淹れたコーヒーを味わいながらその昔彼女が宮脇さんにデートに誘われた時の話を聴かせてもらった。この旅を細やかに世話してくださっている「松本さん」がいつのまにかカウンターに座っていて、結局私たちはお代を受け取ってもらえなかった。宮脇さん、ごちそうさま。

美術館

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但馬・丹後の旅。宮脇檀の出石町2作目は町立伊藤清永美術館(1989年竣工)。ここも黒い瓦屋根と土地の色の壁。風土への馴染を先に立たせてここでも建築家の個人的表現は抑えられている。ここでも私たち一行は館長とキュレーターに出迎えられ説明を聴く。企画展開催中の造形作家稲葉猛さん自らの解説で空き缶を使った平面構成を鑑賞している傍らを含め館内あちこちで青木尚哉グループによる身体表現が繰り広げられている。堅苦しさのまったくない楽しい雰囲気は町に根を張った美術館の証だろう。建築の柔らかさもあってのことに違いない。竣工の2年後1991年に居住空間デザインコースが創立されている。

出石町

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但馬・丹後の旅。現在は豊岡市の一部になっている出石町は豊岡盆地の片隅にあり三方を山に囲まれている。出石川沿いに水田がひろがる豊かな土地で出石城の城下町が起源になっている。標高差310mの城山から町が一望できる。建築の写真のうち上2枚の設計が宮脇さん。左が出石町庁舎、右が出石中学校。下2枚がいるか設計集団。左が文化会館ひぼこホール、右が弘道小学校。遥か彼方からの映像でも街並みへの溶け込み方の違いがわかる。弘道小学校は土曜の朝の散歩に訪ねてみた。山裾の斜面に分棟で教室群が連なる斬新な小学校。都会と違って街から仕切られていないので敷地内に入って見学させてもらった。たまたま居合わせた先生から解説していただけたのはラッキー。先生方にとっては運動量が多いなど使いにくい面もあるようで称賛は聞けなかったが、生徒には間違いなく楽しい学校空間だろう。いい建築だと思う。

5mm

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ozのプルマン5mmカット。これをカリッと焼いてつまみを乗せるのが好き。レジに長い行列があっても平気でカットをお願いできなくては「主夫」は務まらないのだろうが、気の弱い私は運よくすいている時を見計らって頼んでいる。「12枚切りよりもっと薄く」とか「できるだけ薄く」とかの試行錯誤の末「5mm」に落ち着いた。16枚切りよりも薄い。これだと慣れない店員さんでもなんとかなる。

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梅里に現場があった頃に食いしん坊のTさんから教わった「かつ源」は好きなとんかつ屋だ。丸ノ内線南阿佐ヶ谷駅近なので今でもメトロ24時間券を手にするとつい行きたくなってしまう。ここには本格的とんかつ屋にはないはずの「かつカレー」があって気にはなっていたのだが、ついに思い切って食べてみた。カツもカレーもそれぞれ美味しいのだけれどやはり私の好きな「かつカレー」とはかなり違う。「日常派」には内緒にしておこう。

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居住空間コースの新入生歓迎会のゲストは長岡勉さん。レクチャーの後製図室で開かれる懇親会は4年生が準備する。部屋に宮脇さん設計の立派な厨房があるので料理も手製。もちろんメニューも。この体験は彼女たちのおおきな財産になるだろう。製図室にあるライトのこの照明taliesin2はNHKの小道具庫にもあるようで、「ひよっこ」の島谷君の下宿によくわからないまま置いてしまって失笑を買ったあと、「半分、青い」の秋風羽織の趣味の部屋になんとか居場所を見つけていた。taliesin、懐かしいなあ。

宮脇檀

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但馬・丹後の旅。主題は宮脇檀。建築家人生の最後の18年間に4つの作品を遺している出石を居住空間コースの学生たちと訪ねた。彼はこの町で1981年に「斎藤隆夫記念館」の設計依頼を受けている。1983年に竣工し「静思堂」と名付けられた建築で「静思塾」が開かれ、彼も講師として参画するなどして町づくりにかかわっていく。その成果を踏まえて出石町に提案された冊子「出石らしさをつくりだすために」が彼と出石町とのつながりを深める基礎となっているように思う。竣工後35年経った建築を訪れた私たちはここで町の人たちからたいへんな歓待を受ける。お話しをうかがったあとの交流会でごちそうになったのは近くの山で獲れた鹿と猪。お酒も入っておおいに盛り上がり楽しく興味深い時を過ごした。学生たちにとってもいつも遠くにいる宮脇さんのことを深くからだで理解する貴重な体験だったと思う。「静思堂」の発端となった斎藤隆夫は出石町出身の政治家で衆議院議員当選13回、戦前に「粛軍演説」「反軍演説」をし議員を除名処分になったあと選挙で返り咲いた硬骨漢。現在の私たちが必要としている政治家は彼のような人なのだろう。

[staedtler]

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お気に入りの[staedtler]0.9mmシャープ、プラム・フィニッシュを大切に使っています。お揃いなのがなおうれしい。手で描く書くことの大切さをひしひしと感じる今日このごろです。おとなは[kakimori]より[staedtler]、ではないかも。背景は丹波美山の藍染。

[kino bi]

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幾つになっても親は子を心配してしまうので、息子の勤め先が決まった知らせは身に浸みてうれしい。彼からの誕生日祝いは国産クラフトジン[kino bi]。曰く、米からつくったスピリッツと伏見の名水をベースに玉露、柚子、ヒノキ、山椒などをブレンド。エチケットの模様は「雲母唐長」の監修だそう。彼の酒好きと深い拘り方は親譲りを超えてしまっているような気がする。ありがとう。

[berry]

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これは大学院に行った教え子からいただいた誕生祝。私はともかく愛犬ベリーが見事に描かれています。彼は絵が得意で卒業制作でも彼が取材した川越の人々の似顔絵が多数並んでいた。内容の割に評価が高くはなかったのはそのイラスト表現が目立ちすぎたからだとの声も聞こえていたけれど、彼の真摯な設計姿勢と密度の高い表現は私も大いに認めるところで、むしろ最後に形を出し切らないところが最優秀になれなかった原因だと思う。いずれにせよ心のこもった誕生日プレゼントをありがとう。そう言えば2年前に彼を含む6人からいただいたバースデーケーキの箱はまだ大切に置いてあります。

[kakimori]

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教え子の3年生に学籍番号続きで同じ誕生日(私と46年7日違い)で雰囲気も似ている紛らわしい2人がいる。苗字は当然似ているしローマ字で名前を綴ると後半の3/4が同一。そのうちの一人が成人祝いにご両親からKenzo Estateのワインをいただいたと言う。「すごいね」「一緒に飲みましょうよ」「誕生会だね」ということで6月生まれ4人で誕生会を開くことになった。肝心のKenzoは空になってしまっていたのでお気に入りのベネチア料理店を予約した。全員主役だから、バースデー・ドルチェだけはお店に頼んで油断していたら、なんと3人からプレゼントをいただいてしまった。しかも蔵前の[kakimori]の万年筆とインク2色。建築ごころが昂まってきているのは気づいていたけれど、こんなに成長しているとは、感無量。

ムシハムトリ

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但馬・丹後の旅。木蔭に潜んで囀る鳥を見つけ出すのは苦手なのだが少しでも動きが見えればかなり巧く見つけられるようになってきた。鳥好きにとって「半分、青い」が俄かに野鳥モードを帯びてきたのもうれしい。これは伊根の舟宿街で電線に留まっていた鳥。よく見ると何やら咥えていてどうも虫のようなので写真をアップ。鳥の種類はよくわからないが手元の「めぐろのいきもの80選」に載っているエゾビタキに近いかな。蝦夷鶲Muscicapa griseistictaスズメ目ヒタキ科。

トビ

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但馬・丹後の旅。都会以外では身近な猛禽類で朝ドラの田舎のシーンでは必ずと言っていいほど「ピィーヒョロロロ」という鳴き声が流れている。見かけとは違うのどかな囀りだ。伊根でも撮ったけれど丹波美山の電柱上で羽を休めているこの写真をアップ。トビ鳶Milvus migransタカ目タカ科。

ユリカモメ

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但馬・丹後の旅。丹後半島の伊根の舟宿を海から巡る遊覧船に乗った。カッパえびせん目当てに多数のユリカモメが群がる。たいへん人慣れしていて指先に挟まれたエサを器用に嘴で啄む。群れの中にはトビも2羽混じっていてこちらは脚で餌を掴んでいた。野生の生き物にこちらの都合で餌をやるのはいけないことだと分かっていながら写真をアップ。ユリカモメ百合鴎Larus ridibundusチドリ目カモメ科。

コウノトリ

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但馬・丹後の旅。出石(いずし)は現在は豊岡市に併合されている。このあたりはコウノトリで有名なので出会うこともあるのかと期待していたのだが、戻ってから調べてみたら「コウノトリの郷公園」で飼育されてはいるがその他の場所で夏に野生のコウノトリを目撃できる可能性はほとんどないようだ。出会えなかった代わりに、町興しに一役買っているコウノトリのレプリカの写真をアップします。まったくの余談だがテレビの「コウノドリ」の松岡茉優は好演だった。コウノトリ鸛Ciconia boycianaコウノトリ目コウノトリ科。ちなみに鶴はツル目、鷺はペリカン目。
 

出石へ

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日大生産工学部居住空間コース4年生とゼミ旅行。宮脇檀さんの仕事の跡を巡る但馬・丹後の旅。先ずは出石の造り酒屋で撮った花と蝶の写真。土壁の色が宮脇さんがこだわり続けた土地の色。

出汁

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Sicilia series。食べ物はみなおいしかった。ハムソーセージは東京のスーパーで売られているものとはまったく別物だ。野菜そのものの風味も明らかに違う。特に印象に残った味がパレルモのcasa del brodo。出汁で勝負なのだ。出汁で豚とジャガイモを炊いた言わば肉じゃがは絶品だった。真似したい(笑)。一方雰囲気に圧倒された最先端を行くトラットリアがやはりパレルモのferra di cavalo。日本語版メニュー帳は笑いを誘う「誤訳」満載。例えば「ぬいぐるみイカ」。なかなか商魂たくましい(笑)。残念ながらbizarreという形容詞がぴったりの空間は写真にはうまく記録できなっかたので教授が頼んでくれて日本まで持ち帰ったテーブルクロス代わりの印刷メニューをアップしよう。余談だがいかにもやり手という風の個性派オーナーにシャツを褒めてもらった。喜んでいいのかな(笑)。

修復

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Sicilia series。いい建築を体験した。16世紀に最初の建築が造られその後荒廃していた建築群を修復した「州立考古学博物館」。大小2つの中庭と屋内化された中庭が効いている。大きな中庭ではクロウタドリが美しく唄っていた。もう一つは12世紀ノルマン期の邸宅を修復した「ジーザ宮」。こちらは最上階の中庭が室内化されてしまっていたのを復元すればもっと魅力的だろうと思うのだがそうはしないのが「レスタウロ」なのだろう。逃した建築もある。去年どう算段しても行けなかった「州立美術館」。またしても曜日のめぐり合わせが悪かった。スカルパが改修設計をした建築の外観だけ眺めても仕方ない。アリタリアの機内誌にたまたま(テルマエ・ロマエの)ヤマザキマリが「パレルモ」回顧録を載せていて同美術館のメッシーナの「受胎告知の聖母」のことが熱く語られている。シチリア都市史としても大変巧く綴られた文章の中からパレルモを語る一文を引用させてもらおう:『世界がいくら広しといえども、この街くらい歴史と経験が紡いだ質感のある織物を格好良く纏った場所は、ほかに思い浮かばない』

Palermo

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Sicilia series。シチリア最大の都市パレルモは街が楽しい。犬もたくさんいるし暮らしが街にあふれだしてきている。路上のテーブルでいっぱしにカードゲームごっこをする子供たちの姿はさすがシチリアだ。ディーラーはなり切っているし女の子はもう女の格好をしている。ところで、名物のようになっていたマフィアはもう昔話になっているそうだ。

Solunto

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Sicilia series。ジュゼッペ・トルナトーレ監督の「バーリア」の舞台になっているシチリア郊外の町Bagheria(シチリア語ではBaarìa)の近くにあるソルントは古代カルタゴ人の遺跡。管理人が遅刻して半時間ほど待ちぼうけを食ったおかげで列車や山鳩の写真が撮れた。750mmレンズ相当のコンデジのおかげでもある。山の上の遺跡の原の草花の向こうに拡がる海山の眺めがシチリアらしいと思った。

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kinoshita
木下道郎 ・ 建築家
詳しくはworkshop-kino.com

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