2017年の終わりに相応しい暗く重い写真は今年病没した田原桂一が80年に撮った田中泯。原美術館での展覧会は写真可だった。田中泯はワークショップとして90年前後に設計した飲食空間で何度か踊っている。宇田川町の[from DANCE]に使った農業用温室は彼の白州のかつての拠点に移築提供している。そうした縁もあって白州の拠点には何度も足を運び共に飲んだこともあるが例外なくおそろしく緊張感のある宴だったことを記憶している。高価すぎて年末の断捨離を免れたそのころ私がふとしたことから購入してしまった田原桂一の豪華世紀末本の中身は暗い。そんな二人のコントラストの強いモノクローム作品は見応えがあった。その中でこのボルドーで撮られた写真がひときわ印象的だったのは背景の空間のただならぬ雰囲気によるものだろう。調べてみるとナチスドイツが二次大戦時に造ったUボート繋留のためのコンクリート構造物。爆撃に耐えられるよう屋根スラブの厚さが何メートルもあるので戦後も解体できずに残っているのだそう。二人のために在るような特異な空間だ。チェルノブイリの棺と同じように人間スケールを逸脱している。ググっても住所は分からなかったが航空写真で川沿いの異様な大きさの構造物を見つけるのは簡単だった。ワイナリー視察で
2009年にボルドーに行った時にジャン・ヌーベルのホテルには足を延ばしたがもっと近くにあったこれは存在すら知らなかった。無念。去年白州で撮られた数点がそのほかの80年前後の写真よりはるかに柔らかいのは二人の成熟に因るものだろう。ほっとする。観に行った前日に実は田中泯はこれらの写真の中で踊っているのだが私は
[culvert terrace]の宴の方を選んだ。ついていないこともたまにはある。
2017年の最後の日。[doglog]の平均の一日クリック数は昨年比で漸増4500。みなさん、ありがとうございます。2018年も引き続き、よろしくお願いいたします。
洗足池で鳥を楽しんだ後は[洗足池の集合住宅]で高校同期の宴。ペントハウスからテラスに繋がる細長いデッキが宴のための空間。内と外の仕切りの部分の白いカルバートが中間領域になっているので勝手に[culvert terrace]と呼んでいる。同期会の準備をきっかけとした集まりからここ十数年よく飲んでいる仲間が集まった。この建築もその集まりから生まれたようなものだ。設計した空間でこうして仲間と飲めるのは最上の幸せ。みなさんありがとう。冬はオープンエアというわけにもいかないのでこの空間の本領発揮は春になってからかな。
柿の木に群がるムクドリたちは池の端の枯木立を根城にしている。木が立っているところは出島のようになっていて水面がまわり込んできている。今年の3月にカワセミと出会ったのはここなのだが夕方が近づいているしまったく期待はしていなかった。木の足もとで何やら啄んでいるムクドリやヤマバトに目を移した時に小さな鮮やかな碧に気づいた。カワセミ発見。いい写真が撮れた。
明るい西の空を背景に生まれた柿の木のシルエット。ほとんどモノクロームの柿の実にとりつくムクドリの影絵。
池から突き出た杭はユリカモメのお気に入りの場所。陽が低くなってきたところの穏やかな波紋が美しい背景になった。
[洗足池の集合住宅]での集まりの前にバード・ウォッチングの時間ができた。冬だから渡り鳥がたくさんいるだろうなと楽しみにして家から呑川緑道を35分歩いて洗足池の西端に着くと、熟した柿の実にたくさんの鳥が群がっていた。メジロが一羽だけでムクドリの一群に混ざって柿の実をつついているところ。メジロはウグイス色でウグイスは茶色で少し紛らわしい。
ケーブルカーには先のロープウェイの運行を再確認してから乗った。正式名称は箱根登山電車鋼索線。オフシーズンの割には混んでいて途中停車なしの臨時便に乗車。写真は思うようには撮れない。
箱根鉄道の旅のために箱根フリーパスを用意したのが曲者だった。早雲山―大涌谷―桃源台のロープウェイに乗れさえすれば元が取れるのだが、過日の噴火の影響がまだ残っていて火山ガスのためにしばしま運休するのだ。出発前の1週間くらいはたいがい午前中が運休で早ければ昼過ぎに運行開始となっていた。旅の前日にとりあえずフィックスさせた旅程では1日目は宮ノ下で途中下車して早めに十割蕎麦のランチを取り強羅界隈を散策してロープウェイが動かないようだったら元箱根に向かうことになっていた。いざ当日になると箱根に向かうに連れてどんどん天気は良くなり、それと関係はないのだが箱根ナビの運行状況画面にも赤印が出現せず、ロマンスカー―登山鉄道―ケーブルカー―ロープウェイ―海賊船の箱根鉄道の旅があっけなく実現した。たいへんお得ないい切符だ。
ゼミ旅行四国13。猫たちはおっさんと女の子を区別しない。
ゼミ旅行四国12。海にはウミウ、池にはカワウ、違うのかなあ。
ゼミ旅行四国11。豊島唐櫃港で出会ったイソヒヨドリ。雌雄揃いは初体験。地味な方が雌なのはヒトと違う。
photo courtesy of Kyoju LINE
ゼミ旅行四国10。観光団体ランチの起死回生。藁火の火照りも鰹塊の旨さも感動的。
ゼミ旅行四国9。旧い街がゆっくりと入れ替わっていくのには付いて行ける。
ゼミ旅行四国8。
photo courtesy of Kyoju LINE
五台山金色院竹林寺の山犬の写真はここでアップしておこう。
ゼミ旅行四国7。豊島・直島にはチャーター船で渡った。25人の大所帯だからできることではあるが、時間の設定が自由になり島での時間が有効に使えた。それでも1日では時間は足りない。船内空間を専有して船旅を満喫できたのもよかった。ただし好天だったとはいえ晩秋の海風直撃は寒かった。豊島では豊島美術館に近い唐櫃港から歩いた。少し路を間違えたおかげで集落に迷い込んだのは収穫だった。犬やたくさんの猫に出会った。日本中のどこの山にもある完璧に舗装された国策道路を歩くのはつまらないが、山肌を固めるコンクリートの擁壁が途切れて段々畑と白い膨らみが不意に姿を現すのは感動的だ。なにはともあれ産業廃棄物群島になってしまっていた瀬戸内に建築とアートを持ち込んでしかもビジネスにしてしまう慧眼には敬意を表したい。美しい山や里や川や海にダム、林道、堤防、飛行場、原発、産廃遺棄場などを撒き散らす愚行に速やかに終止符を打つことを先ず願う。これらの愚行の下手人代表であるゼネコンが豊島美術館のような感動的な仕事もしているのは皮肉だ。居住建築旅行の25人の群れを率いる幹事さんたちご苦労様。彼女たちの緩い手綱捌きにふわっとまとまるいいチームだ。群れのLINEに混ぜてもらったのもうれしかった。
ゼミ旅行四国6。竹林寺納骨堂(堀部安嗣2013)。牧野植物園のある五台山にある四国遍路の31番札所竹林寺には堀部さんが学会賞を取った納骨堂がある。永い歴史の山に溶け込むように建築は低く低くおさまっている。軸線の突き当りに在る水盤を囲む白壁に映る草木の朧げな影が美しかった。奥深い山から白犬が姿を現してこちらを見ていた。
ゼミ旅行四国5。牧野富太郎記念館(内藤廣2005)。小さいころ図鑑が好きだったので牧野富太郎の植物描写はあこがれだった。高知市の太平洋側に隆起した五台山の地形に埋め込まれた2棟の建築は外部に閉じ、内部に開いている。素直だ。牧野植物園事態も植物が柔らかく繁茂していて気持ちのいいところだ。遍路の小路が園内を通り抜けている。
ゼミ旅行四国4。金刀比羅宮緑黛殿(鈴木了二2004)。2日目の宿は琴平の大型温泉旅館。学生たちも面白いことを考えるものだ。大浴場につかり大広間で宴を張ってすっかり観光客になって785段を登った。過日の台風で奥社までの583段への路が封鎖されていたのは幸い(笑)。本殿の脇にある場違いな感じの荒々しい現代建築は鈴木了二だった。ちらっと眺めただけなのでコメントは控えておこう。
ゼミ旅行四国3。仏生山温泉(岡昇平2005)。高松からことでん(高松琴平電気鉄道)に乗って仏生山温泉へ。乗車券と入浴券がセットになって団扇になっているのが楽しい。仏生山は法然寺の門前町で56年に高松市に編入されている。2005年に仏生山温泉ができたのをきっかけに町おこしが地域の内側から始まっているようだ。温泉の裏には「仏生山まちぐるみ旅館」もできている。「仏生山ウルトラファクトリー」「彫刻家の家」「へちま文庫」「四国食べる商店」「ことでん電車図書室」などマップ第3版を拾い読みしているだけでも楽しい。地域に根付いた動きに建築の存在が寄与しているのはうれしいことだ。かけ流しの重層泉もいい湯だった。フライヤー収集癖のファイルには12月1日に「仏生山縁側の編集室」で開かれた「ハトを、飛ばす」上映会の案内もある。監督の町田康彦さんの「映像日誌みたいなもの」を読むと3・11をきっかけに生まれた作品であることがわかる。町は確かに育ち始めている。
ゼミ旅行四国2。地中美術館(安藤忠雄2004)。2011年の直島滞在時間は3時間を切っていたので地中美術館は素通りした。見なくても解かるとその時思ったのは間違いだった。特にタレルの「オープン・フィールド」での体験が不可思議。初冬の曇り空の自然光でモネを観るモザイクタイルの空間は良かった。低反射ガラスの反射はやはり気になったが仕方はない。知り合いでモネに詳しい林綾野さんは福武さんに誘われてここでモネを語った。誘われたツアーには開館時刻前鑑賞も含まれていた。ご一緒しなかったのは間違いだった。閉じた空間の中に海に開かれたカフェを用意しているのは旨い。外に出られるよと英語で教えてもらったおかげでテラスからの絶景を楽しんだ。そこで撮った瀬戸の島並はひときわ美しい。
ゼミ旅行四国1。豊島美術館(西沢立衛2010)。初めて訪れたのはあの忌まわしい原発禍の始まりの2011年だった。その時には入口の脇に仮設のテントがあってそこで靴を脱いだ。直後に設計者の西沢立衛さんとお会いする機会があって
建築体験の感動をお伝えするとともにテントについては苦言を呈した。設計中は靴のままで入館する予定だったのが竣工後に靴を脱ぐことになったのが原因だとうかがった。確かにあの繊細な白い床に塵芥は相応しくない。長い舗装されたアプローチで靴底を浄化する狙いだったと推察されるが万全を期することになったのだろう。アプローチの始まりのチケットセンターで裸足にしてしまえば、と軽口を叩いて別れたあと一年も経たないうちに手が打たれたとの噂を聞いて流石だなと思っていた。入口の手前に新たに設けられたRCの流麗な構造物は靴脱ぎベンチになっていてその下に靴が収容される。スリッパが用意されていた。当初から計画されていたかのような納まり具合は流石だなと唸った。アプローチの途中には見晴らし用のベンチが新たに設けられていた。チケットセンター前の椅子は以前と変わっていた。細やかさが面白い。2度目の空間体験も新鮮だった。静謐な空間を歩き回っていて頭の真上が空になるところに至ると気持ちが動いた。面白い。特に屋根面がアイレベルの下に来ると気持ちは空間から外に出る。水の挙動をしつこく観察した。同じ穴から吹き出てくる水の量が微妙に違っていて流れる経路、速さがひとつひとつ異なっている。小さ過ぎる水滴は途中で停まって、後から来る水滴が引力の範囲内を通過する時に合体し流れていく。大きな水滴は細長い生き物のようになって速度を増して走って行く。大き過ぎると途中で尾が切れるように水滴が残る。見ていて飽きない。面白い。躯体の劣化が僅かに見うけられるが空間の本質にとっては些末なことだ。今度はここで雨を体験したい。
横浜散歩から6。6羽のスペースを7羽で取り合っていてふと4羽だけが並んだ一瞬。
横浜散歩から5。水際にはかもめもかももいるけれども挙動はかなり違っている。
横浜散歩から4。何十年ぶりかに観覧車に乗ると、決めた。