
室伏次郎さんの「北嶺町の家」にお招きいただいた。1971年末竣工だから間もなく47年が経過するご自邸は限界予算の2戸建て「上の家・下の家」に始まって幾度もの改装・改築を経て棲み続けられ今の2世帯住宅「北嶺町の家」に至っている。そのダイナミックな変遷の足跡が建築の随所に残った空間は室伏さんの人生そのものの写しのようでもある。この日の主題は屋上庭園に生り繁ったオリーブの「収穫祭」。建設現場の足場ユニットで構築された仮設外階段を登って4階屋上に上がると一面に拡がる住宅地の眺めを遮るものは何もない。ご子息一家も加わって1060gを収穫し直ぐに苛性ソーダ2%水溶液に漬け込まれた。屋上の芝生に置かれた模型ケースのアクリルを転用したテーブルの内面結露が美しい。乾杯の後階下に戻り奥様の手料理で宴。歴史が刻まれた味わい深い空間で熱い語り合いの時間を持つことができたことに感謝したい。

photo by Fujinari Miyazaki
長崎市坂本で
[薄明薄暮性]crepuscularとタイトルされた写真展が開催されている。
[長崎のヴィッラ]の竣工写真を撮ってくれた宮崎富嗣成さんの建築/風景写真展でそのヴィッラの美しい写真も展示されている。crepuscularという耳にすることがそれほど多くない言葉から真っ先に連想するのは1980年頃に話題を集めたベルギーのレーベル「クレスプキュール」Crépuscule。私の守備範囲からは遠かったはずだが1989年にLes Disques Du Crépusculeという編集盤を懐かしい六本木Waveで購入していた。crepusculeはフランス語でたそがれ、すなわち「犬と狼の間」
entre chien et loupということ。その心は「慣れ親しんでいて心地よいものとよくわからなくて危険なものとの境目」。

身近によく見かけるセキレイは鳥とは思えないほどにひとなつこい。5世紀末のほぼ神話の世界を描く日経朝刊の新聞小説「ワカタケル」にマナバシラという古名で登場してから見え方が少しばかり変わってきたから不思議だ。際限なく拡がった大都市に暮らしていて、千年を超える時の流れを実感する機会がほとんどないからなのかもしれない。ちなみに5世紀にはローマ帝国は繁栄のピークを越えてすでに東西ローマ帝国に分裂している。コロッセオもパンテオンも建造されてからもう何百年も経っている。セキレイはローマでも日本でも同じように尾を振っていたに違いない。セキレイはラテン語ではmotacillaのようだからローマでもそう呼ばれていたのだろうか。ちなみにイタリア語はcutrettola。英語のwagtailは分かり易い。

非常勤講師をしている居住空間コースは家からはかなり遠いので9時の授業のためには7時前に家を出ることになる。だから毎週月曜日の早朝にパーシモンホールの樹々の中を急ぎ足で歩いて行くと鳥たちの挙動もいつもとは違っている。じっくり観察する時間はないのだが優秀なコンデジのおかげで時々お気に入りの写真が撮れる。電線に連なる椋鳥がリズミカルに並んでいて音楽になりそうだ。中学生の時に感動したMary Poppinsはアニメと実写が合成されたミュージカルで作曲はディズニーおかかえのシャーマン兄弟。この中で私が一番好きな曲はJulie Andrewsが歌う哀調を帯びた美しいメロディーのFeed the Birds。1988年のディズニーソングカバー集Stay Awakeに収録されたGarth HudsonのFeed the Birdsのアコーディオンも涙ものだ。

「荘」の「峠」で珍しい栃の実に出会った次の日に新宿御苑に行った。秋の長雨が途切れた後のくっきり晴れ上がって少し暑いくらいの御苑は気持ちよかった。台風由来の折れた枝葉があちこちに散らばっているのを見て気持ちがざわついた。ガイドマップにある「セイヨウトチノキ」に吸い寄せられるようにいつもはあまり歩かない路を進んだ。路をはずれて付いて行くと前日カウンターの上で出会った実がいっぱい散らばっていてうれしい土産に。秋、ですね。中には栗とよく似た実があり、徹底的に渋抜きをすれば食べられるので食糧難の時代には救荒作物となっていたそう。写真は[bigdog house]に集まったお気に入り。楽しい。


大塚聡さんと小西恵さんが細工町に設計した集合住宅「荘(かざり)」に開業した焼き鳥屋「峠」に行った。宵闇に溶け込んだ黒い外壁の建築の1階角から漏れ溢れる明かりに優しく迎えられる。飾りを削ぎ落とした外観がそのまま続く抑制されたインテリアが私には心地いい。モノトーンの空間の中でコの字の白木カウンターが映える。酒の品揃えに店のこだわりがある。当然常温の酒はない。近頃流行のヌーベルではなく直球勝負。大将の人柄が伝わってくる旨さだった。カウンター奥にさりげなく置かれた見慣れない木の実は栃の実だった。幸せな心持で店を後にした。私の建築にもいい店が入るといいな。