ケニア大使館の独立44周年パーティに出席しました。ダークスーツの群れの中で鮮やかな花のような民族衣装が印象的でした。クスクスでもない餅でもない、挽いた穀物からつくられた食べ物を始めて口にしました。写真はケニアのビール
Tusker。ラベルがかわいい。ケニア共和国は私にとっては遠い国。思いつく言葉をあげてみても、ナイロビ、キリマンジャロ(これは隣のタンザニア)、サバンナ、ヌデレバ・・・。ケニアのことをそう深くは認識していないことに気づきます。アフリカ料理の
tribesには店長がビアホール・ハートランド出身というご縁で、前田仁さんと飲みに行きました。ここのホームページにはアフリカ情報がいっぱい。そして時がかなり遡りますが「少年ケニヤ」。作者の山川惣治さんとはご自宅でお会いしたことがあります。息子さんたちのレストランが横浜・山手にありました。たくさんの想い出があります。

(左に見える異物は猫のしっぽです。)
これが[doghouse]のビールHeartlandです。1986年からの御用達。どうしてそんなに永いおつきあいなのかについては、これからおいおい、お話していこうかと思っています。とりあえずは[al domino]を施工した建築会社辰のユニークなコミュニケーション・ペーパー
SHINCLUB92号に少し話が載っていますので、そちらのほうをご覧ください。
92号には[al domino]のほかに2000年竣工の
[balcon]のことも載っています。

日曜日昼下がり、[doghouse]中庭でふと空を見上げると、青空に一条の白い筋。どこか懐かしい飛行機雲を美しい、と感じてシャッターを切りました。デジカメが捕捉した大型旅客機の姿。ロックを聴いて育った私がすぐに連想するのがジョニ・ミッチェルのつくった唄「ウッドストック」の戦略爆撃機が蝶に変わる云々のくだり。銀色に輝く美しい工業製品は先ず何よりも兵器であるという現実にいつの間にか引き戻されてしまいました。

葉が落ちきるまでにあとどれくらいでしょうか。日に日に変わる玉川上水の散歩道です。

「おとうさん、どこかな」「だいじょうぶ、こっちですよ」

父の六周忌で家族が[bigdog house]に集まりました。1979年に「ワークショップ」として設計した、私にとっての最初の作品です。家を新築することになり土地探しをしていた父が1977年のある日夜遅く、私に敷地形状の書かれた印刷物を持って帰りました。朝までかかってコンクリート3階建の案を仕上げ、父の出社前にプレゼン。「よっしゃ」決断の早い父はそれで土地購入を決めてしまいました。
ガラス屋根の土間にパーゴラが外から入り込んできている「屋外的」空間が家全体の結びの領域[縁]となっています。現在の私の設計のテーマはこの時から続いているわけです。この作品が「都市住宅」という建築雑誌に載ったことは、「ワークショップ」のその後に少なからぬ影響を与えたと思います。


地面を盛り上げて2階のテラスまで連続させています。なかなか大胆なアイデアです。

父はこの家の「ロジック」がとりわけ気にいったのだと思います。たいせつに住み込んでくれました。
猫のクウがマットの上で昼寝をしています。

「実はあまり記憶にはないのですが、生まれて間もない頃、人間の乗る自動車にはねられて左前足に大けがをしました。誰かに助けられ、獣医さんに預けられていた時に、現在の飼い主の娘さんに出会いました。その獣医さんがフクちゃんのかかりつけだったのがご縁というわけです。私に興味を持ってくれた彼女に、先生は「一晩貸してあげるよ」と言って、たくさんのごちそうも持たせてくれました。で、今[doghouse]の住人になっています。傷ついた足を手術で切除してもらったおかげですっかり元気になり、普通の猫として暮らしています。2年前にやってきた頭の悪い仔犬がいまだに私にちょっかいを出すのは、何とかしてほしいものです。」


スタッフが我が家の受験生のために「合格銀杏」を届けてくれました。うれしい。背景の布はその受験生が私の誕生日に贈ってくれたものです。いい趣味でしょ。

「僕はからだが小さくて寒さに弱いので、最近は「お洋服」を着ています。飼い主はこういう「趣味」が嫌いなようでしたが、分かってくれて助かっています。」
