鳶鴎

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山下公園の前の穏やかな海辺にはカモメがたくさんいる。トビがカモメを襲っているように見えなくもないがたまたまそんな風に撮れただけの写真。伊根の遊覧船のまわりでもトビとカモメは争うことがなかった。

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カワセミが出たついでに撮りためた鳥の写真から何枚か。琵琶湖西岸の針江の帰りに立ち寄った余呉の駅で1時間に1本の電車を待っているあいだに撮ったトビ。余呉にはそのうちにまた行くのだろうな。

Coraciiformes Alcedinidae

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At the zoo #5。多摩動物公園のかつてはウォンバットもいたオーストラリア園にはワライカワセミがいた。日本のカワセミの何倍もの大きさがあってけたたましく鳴く。どちらもブッポウソウ目カワセミ科Coraciiformes Alcedinidae。なにか動物が吠えているようにも聞こえるのだが、笑い声のようでもあって、ワライカワセミと呼ばれている。オーストラリアではkookaburra。ところで私の最初の海外旅行は1973年オーストラリアだった。鉄鉱石を積む貨物船に乗せてもらって片道7日かけて赤道を越える航海。懐かしいなあ。

Carnivora Canidae

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At the zoo #4。21年間にも及ぶ犬と一緒の暮らしに突然終止符を打ってから4年半になる。身近に犬がいないものだから写真ではすっかり鳥おじさんになっているが、犬が好きだ。オオカミは犬からもろもろを削ぎ落とした原型で犬そのものだなあと暫し見入ってしまった。どちらも食肉目イヌ科Carnivora Canidae。隣の柵のモンゴルウマに向かっての遠吠えがよかったなあ。ふたりともずっと犬を飼っていたことがあってかつ猫も飼っていたことがあるのでなにかと気心が通じやすいのかもしれない。

Carnivora Ailuridae

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At the zoo #3。動きが活発な動物は見ていて楽しい。酷暑がようやく下火になったということもあるのかレッサーパンダは元気に枝を渡り歩いていた。超人気のパンダは食肉目クマ科Carnivora Ursidaeで、明らかに名前負けしているこちらは食肉目レッサーパンダ科Carnivora Ailuridae。名前ほどには近しくない。英語ではlesserを嫌ってred panda、wah(チベット語でキツネを意味するwaに由来)、firefoxなどとも呼ばれているとwikiにあった。中国語の小猫熊にあやかってネコグマと呼ぶのがいいかも。
 

Diprotodontia Macropodidae

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At the zoo #2。カラスはかわいい。カンガルーの領域に自由自在に入り込んできて遊んでいる。一方のカンガルーのほうもカラスごときは目に入らないのだが若い個体がひとり身を固くして暫し局所的な緊張が片方向に走った。子育てを経験した者にとって動物園は避けて通れない必殺アイテムなのだが、その時の主役は動物ではなく子供。こうしてゆっくり静かにしかも平日に来てみるとまた違ったものが見えてくるのかもしれない。カンガルー、双前歯目カンガルー科Diprotodontia Macropodidae。

Diprotodontia Phascolarctidae

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At the zoo #1。宮脇さんの設計した高幡不動の住宅地は多摩動物公園に隣接しているので、何十年振りかな、寄り道をしてみた。最初に来たのは50数年前で、1958年開園のおそらく2,3年後。家族の他に大阪から上京した叔母と一緒だったように記憶しているが定かではない。通り雨に会ったことだけは確かに記憶している。もう少し大きくなって思春期も過ぎたころの記憶の中に映画「卒業」(1967)のダスティン・ホフマンとキャサリン・ロスの動物園デートがある。ポール・サイモンがあのシーンのために書いたAt the Zooはロマンティックではないので結局使われなかった。監督は賢い。映画にも歌にもコアラは出てこない。コアラ、双前歯目コアラ科Diprotodontia Phascolarctidae。

集住

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高幡不動にある宮脇さん設計の住宅地「高幡鹿島台ガーデン54」(1984年)「フォレステージ高幡鹿島台」(1998年)を見学した。京王線の高幡不動駅から1.5km標高差60mの丘の上にある。周辺一帯は方形に区画割りされた典型的住宅分譲地。長期的ビジョンを持つ計画と目の前の経済原則優先の即物的計画との差はこうして20年以上が経過すると歴然だ。見学とは言え、ただ通り過ぎただけなので、印象に残った写真を少し。細やかなデザインコードも効いているのだが、公道と私有地のあいだに挟まれた共有地の存在は大きいと思う。この仕事は建築家の職能のひとつだろう。

驟雨

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旧岩崎邸庭園和館には通り雨を遣り過ごす座敷があって雨脚が弱まるまで暫しにぎわっていた。辛抱強く待ってやっと思うように撮れた。

shower

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通り雨を避けられそうもないので旧岩崎邸庭園で遣り過ごそうと計ってそのとおりになった。滝のような雨なのだが思うようには撮れない。

蕾 蜻蛉

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蓮の蕾の蜻蛉は蜉蝣のように儚くはない

蓮池には蜻蛉もいた。動くものには忽ち反応をしてしまうから忙しい(笑)。いい時間が続きますように。

近現代建築資料館

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2013年に湯島に近現代建築資料館が開館したことを迂闊にも知らなかった。東京新聞の黒瀬陽平さんの美術評を転載したフェイスブック投稿でその存在を知って、開催中の「平成30年度収蔵品展 建築からまちへ1945-1970 戦後の都市へのまなざし」展に出かけた。同館収蔵の坂倉準三、池辺陽、大正人、吉阪隆正の図面が展示されている。トレぺに手描きの50年以上前の図面はそれだけで重い存在感がある。坂倉の「新宿計画」には驚くほど広い範囲が描かれていて、現存する空間を毎日通い抜けているだけに興味深かった。「新宿西口本屋ビル」というのが今の小田急百貨店だ。池辺の「渋谷區復興計畫案」は初見。卒業制作のようにのびのびしている。いずれにせよ放っておくと散逸してしまうに違いないこういった図面を収蔵するのはいいことだ。新旧2棟を改修した資料館全体の設計も気に入った。外壁のツインカーボ、ステンレスメッシュなど建築マインドあふれる素材の選択はけっこう大胆だ。設計は意外にも国土交通省関東地方整備局。あっぱれ。岩崎邸のもともとの敷地の一部にある資料館は隣接するコンドル洋館や和館とはなんとか折り合いをつけているのだが、庭園に隣接する湯島合同庁舎の建物は庭園の存在価値を著しく阻害している。悲しい。

蓮 永遠

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時も光もよぎる透ける透きとおる

東福寺は独りで訪ねた。重森三玲の庭に向き合いながら青い森の鳥の囀りを聴いた。蓮池に心奪われた。いい時間だった。

余呉

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青田の中の一面二線の駅から5分も歩くと余呉湖畔。琵琶湖より標高が50m高く周囲を山で囲まれている。湖面が穏やかなことから「鏡湖」とも呼ばれているそうだ。台風由来の通り雨であたりは湿り気を帯び、煙る山を背に虹が幾本もかかった。時を止めて別世界に迷い込んだかのような不思議な一時間だった。先生2人がつきあってくれていなかったらもっと深く踏み入れていたかもしれない。だから去年の彼が見たものが見えたのかどうかはわからない。683系「しらさぎ」と貨物列車が青田を駆け抜けていくさまを写真に捉えられたのは個人的には大きな成果だった。

鷺 青田

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糧を得る青田の美しさを鷺の白さに噛みしめる

昨年、非常勤講師仲間が米原で別れて独り余呉に向かったのが気になっていた。それで針江からの帰りに途中下車した。1時間1本のローカル駅。美しい日本が確かにあった。

川端

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居住空間デザインコース京都研修旅行で白河院の大広間で学生たちと飲み明かした翌日は先生たちと徒党を組んで寄り道をして帰京する。今年は琵琶湖西岸をまわって北の方にある高島市針江を訪ねた。この地区は山からの豊富な伏流水が地表面近くを流れていていたるところに水が湧き出ている。地中に管を少し差し込めばどこでも清水が自噴する。街を流れる清流を家に引き込んだ「はた池」を魚や蟹が入り込まないように囲って「つぼ池」としそこに水が自噴する「もと池」を設えてこの地独特の炊事場「川端(かばた)」となる。普通はこれが家の中の土間に続くところにあって「内川端」と呼ばれる。家が取り壊されて屋外になった川端やお地蔵様のための川端は「外川端」。湧水が流れる川には琵琶湖から上って来るコイ、アユ、ヨシノボリ、サワガニなどが棲んでいて、炊事場から出る残り物を分解してくれる。湧水の温度は一定して12℃だから夏はスイカ、ウリ、キュウリ、トマトなどをここで冷やす。街の見学は申込制になっていて私と同年輩のボランティアの案内で街と湖岸を3時間近く歩いた。豆腐屋では川端で冷えた豆腐をいただいた。ガツンとくる木綿だった。2005年にNHKスペシャルで報道されたことで急に来街者が増え、暮らしを守りながら川端を維持していくための自主組織「針江生水の郷委員会」が生まれたのだそう。彼の熱い語りで委員会のさまざまな努力について教わった。飲料水事業などの外部資本に頼らずに自分たちの力で環境を維持して行く試みに拍手を送りたい。針江の町の青田は無農薬で琵琶湖の魚が棲み鳥が群れる。葦が繁る琵琶湖岸も野鳥や川魚にあふれる美しいところだった。

house M

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松田ナオノリさんのhouse Mで8月12日に開かれた「伝統文化対話シリーズU:軸線と非対称のバランスon axisU 」に参加させていただく機会を得た。house Mは松田さんのご自宅を含む3ユニットからなる重層長屋で西麻布の住宅街に建つ。地下1階から4層分の中庭をロの字に囲みながら3住戸が建築基準法上の共有部分を持たずに空間を共有している。その鮮やかな設計士としての技と四方を囲まれた4層中庭の建築的魅力に惹きつけられて99年に発表された当時懸命に図面を読んだことを覚えていた。だからひょんなことで縁が近づいている室伏さんからのお誘いに即答した。やはり素晴らしい建築だった。図面と写真からは読み切れない発見がたくさんあった。地階のFLと中庭に40cmくらいの段差があって地階の縁に腰かけて中庭を囲むのは新鮮だった。「軸」を主題に室伏さんの「ダイキン・オー・ド・シェル」とランドスケープ・アーキテクトの杉浦榮さんの仕事を手掛かりに対話が進んでいく。日本語の「軸」はかなり多義的な含みの多い言葉で、だから建築家に好んで使われるのだろうが、これをaxisと英訳したとたんに趣きが変わってくる。トムヘネガンが指摘してくれたようにaxisは終点が伴う強い方向を表す。神、権力、ランドマーク、シンボル。「軸」はline、direction、center、stemといったものも含むから「掛け軸」「車軸」もあれば、心も体もマッチも「軸」を持つ。あぶない言葉だということがよくわかった。これは余談だがAxis powersは「枢軸国」だ。対話の後は中庭で中華テーストの菓子と茶。縁に座った参加者がひとしきり語った後、1階に上がって中華テーストの洗練された料理とお酒。いろいろ語り合って稔り多い時間になった。明確な意図を持った空間が生き生きと使われている様を体験した。旧知の田中厚子さんとの再会もうれしかった。

水 椋鳥

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暑さが和む鴨川を渡り水を浴びる椋鳥がうれしい独り歩き

東福寺から京阪で三条に出て十二段家の茶漬けに向かう道すがら。一人でも、ランチでも、旅先では日常には流されない(笑)。

鴉 鹿池

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池の淵で涼を取る鹿に歩み寄る独り鴉に心は緩む

2011年の同じ大仏池で水浴びをする鹿たち。今年は水辺で寝そべっていた。

影 椋鳥

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葉陰に潜む椋鳥の凛々しき影にふたり涼む

奈良二月堂から降りてきた池のほとりで出会った椋鳥。一人でいるより出会いの機会は増える。

燕 室生

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山合の青田に群れる山燕一羽留まって語る

ダニ・カラヴァンの公園がある室生山上から少し降りた美しい青田で燕の群れに出会った。里の燕とはどこか違っているような気がする。電線にこんなにたくさん燕が並ぶのは珍しい。
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奈良鹿

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奈良ホテルに泊まった。荒池とのあいだの庭を歩くと鹿に出会う。天井高4mを超える落ち着いた寝室。行き届いたサービス。居心地が良かった。夜は街中にロウソクが灯る燈火会。日中は酷暑で二月堂界隈を歩いているのは外国人ばかり。学生たちとの宴には彼女たちの20期上の先輩も参加してくれた。二人でついに設計事務所を始めるとのこと。おめでとう。二次会で飲んでいるうちに彼女たちがフジロックのボブ・ディランで一緒だったことがわかった。うれしい。

隧道

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峠を挟むフジロックと法師温泉という硬軟、新旧の取り合わせはおもしろかった。車だとわずか7kmの距離でごく自然におさまるのだが、公共交通機関頼みとなるとたいへんな迂回を余儀なくされる。どうせ遠いのだから峠を越える鉄道は新幹線12分ではなく上越線78分を選んだ。清水トンネルのループを体験しようと先頭部に陣取りカメラを構えたもののよくわからないうちに地中駅の土合に停車。後で調べたらループがあるのは上りで、下りは清水トンネルより低いところを長く貫通する新清水トンネル。犬智慧だったわけだが、13,500mの長い隧道と不思議な地中駅もよかった。こっちのルートを選んだおかげでディランともだちのIさんと再会できたのもよかった。いずれにせよローカル線は楽しい。

室生寺

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室生川を挟んでダニカラヴァンと向かい合うように室生寺がある。公園を横ぎる緯線「太陽の道」は室生寺金堂を通る。階段ごとに向きを変え視界を分節しながら連続する750段はよくできているが、猛暑の中ではからだには厳しかった。ここの五重の塔は美しい。

室生山

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3度目の室生。今までは学生たちと一緒に奈良からバスだったが、今回は近鉄の最寄り駅から路線バス。1時間に1本なので時間調整は大変だが室生川沿いの道は楽しい。先ずは室生山上のダニカラヴァン。大人数で短時間だった過去の2回と違ってじっくり空間を楽しんだ。やはり猛暑で日射しは強かったが標高のおかげか暑くはなかった。

剥製

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法師温泉長壽館の味わい深い廊下に置かれている剥製の写真はここぐらいしかアップする場がない(笑)。

蜻蛉

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法師温泉のまわりには鳥がたくさんいるのだが写真は撮れなかった。その代わりに雨の中でじっと樹に留まるトンボ。漢字が蜻蛉なのがわかるような気がする。

窓車

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宇都宮では商業施設として使われていた駅ビルをコンバージョンしたホテルに泊まった。3階の部屋は新幹線の線路際。これはラッキーだった。窓の前を車輛が駆け抜けるのだ。二重窓のおかげでほぼ無音のまま目の前を列車が行き来するのはかなりシュール。音がほとんど聞こえないうえに一瞬で通り過ぎるので写真を撮るのに時間を要した。楽しかった。

石蔵

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大谷へ。宇都宮市内には大谷石の建築、建造物がたくさん。石蔵を飲食店にコンバージョンしたお店もある。インテリア素材として使われている薄板は時間を経ていないので趣きが異なる。

祭礼

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大谷へ。宇都宮で二荒山(ふたあらやま)神社のお祭りに出会えたのはラッキーだった。町内会のたくさんの小ぶりの神輿が100段の階段をまわりの人も一緒に上る。荒々しさはなく街の人がみんなで楽しんでいる雰囲気が伝わってくる。いい街だなあ。

ディラン

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苗場のフジロックは熱かった。あんなに大勢の老若男女がのびのびと思い思いに音楽を楽しんでいる状況は私の想像をはるかに超えていた。前日の2日目は台風12号の影響で雨だったのだがそんなことはどうでもいいことなのだろう。予定どり台風一過となった3日目は強い陽射しの青空を雲が速く流れ、帽子を飛ばすほどの風が心地よかった。ただ会場のそこここに泥のぬかるみがあり、教え子たちが教えてくれたように長靴で来る場なのだ。気の利く連れのてきぱきした先導でどんどん前に詰め寄って熱い立ち見集団に紛れ込めたのは正解だった。いつもどおり重くタイトなリズムの演奏が始まるともう後はロックの嵐だった。元気いっぱいにピアノを叩きまくるディランは強い風に髪を揺らし会場の雰囲気に乗ったのか楽しそうだ。50回を超すディラン体験の中でも屋外は初めて、日が落ちて刻々と青味を増していく空の下での音楽は気持ちがいい。汗ばんでくるからだに夜風が優しい。60年代の曲も2010年代の曲もどんどん進化しているから全部が今のディランだ。耳では曲目が特定できずに27日のセットリスト情報から頭で類推した曲が2曲あって僅かながら動揺する間もあった。熱い90分が瞬く間に過ぎた。2014年10月からは必ずセットリストに入っていたシナトラナンバーはついに歌われなかった。甘さを切り捨ててロックに徹しラストを「風に吹かれて」で締める構成は旨い。一言も言葉を発せず、それでも彼なりの最大級の気持ちを込めて、仁王立ちで私たちに応えてくれた。かっこいいの一言に尽きる。こんな素晴らしい時間を伴侶と共有できたことも私にとってはことのほかうれしい。遠くまで回り道をして時間をかけて来たのもよかった。忘れられない旅になった。

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kinoshita
木下道郎 ・ 建築家
詳しくはworkshop-kino.com

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