屋外で花をつけたランを寒くなったので半屋外空間に移動。
その昔都立大学があったパーシモンホールの緑いっぱいの敷地を斜めに通り抜ける家から駅へのいつもの道が工事で封鎖されてしまった。斜めだと280m、道どおりに直角に曲がると380m。100mの差は私の歩1分。意外に大きいなあ。これが来年3月末まで続く。経路がかわったおかげで生まれた写真もある。決まった道を歩きたがる習性があるのでこういう遠回りもいいのかも。
雨上がりの新宿中央公園の情景。止む終えず人が写りこんでしまったことでなにか物語が生まれそう。永い人生にはいろいろなことがある。
スタジオ・アルテックの「大倉山シニアハウス+」の内覧会に大倉山まで出かけたついでに近くの建築を観察。SANAA「大倉山の集合住宅」(2008)と宮脇檀「グランドメゾン大倉山」(1996)が駅近の雑然とした街裏に潜んでいる。後者は2棟の間にある中庭空間が主題だと思われるのだが入り口はしっかりロックされていて雰囲気を感じ取ることすらできない。それに対して前者は道レベルにある建築の余白がすべて道に開かれている。時代は変わっていくのだろうかなどと思いながら急な坂を上って長野宇平治「大倉山記念館」(1932)に辿り着いてびっくり。私のテイストとはまったく異なる建築なのだが看過できない存在感がある。前身の「大倉山精神文化研究所」という怪しい名称がぴったり。街にでてみるといろいろ面白いなあ。fbにもっと写真をアップします。
不思議に庭を這う竜胆の愛しい青に降る陽の光の優しさ
甘酒の盆に遊ぶ兎に寄り添う福にフクを思う犬から遠い日々
卯年の群れが兎に引かれて明月院の名月の窓に見るもののさまざま
鎌倉を散策する高校クラス会で雪ノ下の猫に語りかけられる
石垣島6。白い浜に目を凝らすと小さな生き物がたくさん。潮が引いた後の浜では蟹やヤドカリの営みの跡が美しい紋となって残っている。潮のあるところでは猛毒のウミヘビにも出会った。静謐に見えているだけの生々しい自然。
新宿御苑菊花壇展つづき。ランドスケープとしての菊という観点からは池の端に設えられた黄色い島が一番印象的かな。
新宿御苑も秋。さまざまな菊が仕立て上げられていました。これは「大作り」。一株だそうです。
石垣島4。毎年石垣島に通っている友人が教えてくれたのが「ひとし石敢當店」。ネットで調べると予約が取りにくい人気店のようっだしそもそも夜はみんなで食事する店が決まっているのでほとんど諦めていたのだが「宮良殿内」の近くだったので見学後にできた自由時間の隙間を突いて開店の5時にトライ。案の定予約満席で30分以内オーダー1回という条件でなんとか入店。石垣牛握り、マグロ握りなどに満足。やってみるものですね。超人気店をとりあえず体験する手としてほかでも使えるかも。「石敢當」は沖縄で街角によく刻まれている魔除けの文字。魚は近くの公設市場での写真。こういう南国の魚もおいしいことは伊礼さんに習って経験済み。
東京都写真美術館:杉本博司 ロスト・ヒューマン。多岐にわたる膨大なコレクションを主体に展開される現代文明のエピタフ。33編の展示には1つを除いて「今日 世界は死んだ もしかすると昨日かもしれない」という寸分違わぬ言葉で始まる肉筆が添えられていて、浅田彰、磯崎新、南條史生など注意深く選定された人たちが代筆している。写真という表現の枠を大きく超えたモノの迫力に圧倒される。けれども写真のみの[廃墟劇場] [仏の海]シリーズに写し込められた意志の密度も尋常ではない。どうでもいいことだが、ラブドールの言葉だけ女言葉で綴られているのも杉本のこだわりか。
石垣島3。白保集落。「ンマガミチ」のこれも「ウタキ」かな。これは集落内に散見される聖なる場で直交する「カンヌミチ」の突き当りの集落はずれには鬱蒼とした森に護られた「ウタキ」がある。
かれこれ20年来の縁になる陶芸家の高鶴元さん。1985年にお招きいただいた福岡の登り窯建屋焼失後の初めての東京での個展。衝撃の陰を微塵も見せないどころはすごい。元気いっぱいの「パンプキンシリーズ」や私のお気に入りの「鳥付き花瓶」にはさすがに手がだせなかったけれども今年もぐい呑みを入手。去年の丸に今年の六角。
11月4日斎藤輝彦コントラバスリサイタル@三鷹市芸術文化センター。コントラバスにはバス、ベース、ダブルベース、ストリングベース、ウッドベース(和製英語)、弦バス、アップライトベース、スタンドアップベース、アコースティックベース、ベース・フィドルなどさまざまな呼び名があり、オーケストラ、ジャズ・カルテット、ロックバンドの一員として重要かつ多彩な役割をしているけれども、このリサイタルのようにソロで聴かれることは珍しい。斎藤さんのおかげで私にとっては恒例となったリサイタルだが回を追うごとに内容が豊かになってきている。馴染のある「タイースの瞑想曲」(マスネ)に始まる演奏は徐々に昂まっていき、半ばからはコントラバスを知り尽くしたボッテジーニをたっぷり。粋の合った吉岡裕子さんのピアノ伴奏に加え古川仁美さんのフルートが加わったのが新鮮だった。特にボッテジーニの「パッスィオーネ・アモローザ」でフルートが主旋律を奏でている時の何とも言えない弦のうねりのような音は感動的だった。幸せな夜の気持ちをよく表しているのが秋の黄色い小菊。この曲は2台のコントラバスのための曲の一つのパートをフルートに置き換えて編曲されたものだそう。あの3・11の直後に予定されていたリサイタルでフィレンツェ歌劇団の首席コントラバス奏者とデュオで聴けたはずだったのがこの曲。フィレンツェ市長の迅速な帰国命令で幻になったままになってしまっているが判断は正しかった。フルートと奏ったほうがいいよ、と斎藤さん。フィレンツェから見れば今でも事態はアンダーコントロールとは言えない。
まずは前川國男 石垣市民会館。照明担当職員の方の案内で大ホールのバックヤードを見学。貴重な体験になりました。
東京都写真美術館:杉本博司 ロスト・ヒューマン [今日 世界は死んだ もしかすると昨日かもしれない] [廃墟劇場] [仏の海] → 意味>新[猫一匹分] → 蔦屋[代官山の家] → ホット・レモネード@fabcafe → 文化村Pierre Alechinsky → Le Bouchon Ogasawaraとメモするのが精いっぱいの刺激的な休日。
事務所近くの自然派ワインバーlunetteはランチタイムも居心地がいい。シェフの井上さんの優しい気遣いに加えて客は圧倒的に女性が多いから空気全体が柔らかい。そんななかにすっと溶け込んでしまう常連の花の好きな男の子がいて時々話をするのだが興味の対象が似ていて先ずはヒラリー・ハーンで話し込んだ。最近長崎に行ったそうで、お互いに好きな鳥の話になって、もともとは九州以南にいたというイソヒヨドリが話題になった。知らないなあと応えて事務所に帰ってググったらなんと
去年長崎で出会った鳥ではないか。[doglog]ではツグミ科のアカハラではないかと書いたが同じツグミ科のイソヒヨドリが正解。ヒヨドリとは科が違う。lunetteの縁もまたおかし。写真はヒヨドリでもなくオナガ。
経堂の集合住宅、、引き渡し。[alley]の夜景がやっと記録できました。
常夏の竹富島から初冬の大都会へ。ANAの787機体問題が原因と思われる欠航の影響で深夜に帰宅。羽田から遠い津田沼近辺在住が多い学生たちは無事辿りついたのだろうか。それはそれとして10℃以上の気温差移動は面白い。とりあえず昨日の竹富島。海や浜はもともとはこんなに美しかったのだ。