長崎のヴィッラ。この部屋は壁は漆喰。床は
勝沼のワイナリーでも使った竹のフローリングです。照明は人感の補助照明とカウンター両脇下の間接口のほかはスタンド対応。東に面した窓には朝陽を遮る引戸が仕込まれています。純白と鮮やかなコントラストをなす微妙な橙色を選びました。もうひとつある橙色の小さな引戸を開けるとバスルームへつながる露地へのくぐり口が現れます。外国からの客の寝室ともなるということもあり、少し遊んでみました。
飛行機に乗る時には本は要りませんが、電車の窓に背を向けて座る時には活字が必要です。
熊谷への小さな旅の折には石牟礼道子と藤原新也の対談「なみだふるはな」。読んでよかった。水俣と福島を素材にヒトの現代文明の愚かさが痛いほどに語られているけれども、心持は討ち沈むことなく、むしろしゃきっとしました。ネコ、タチウオ、ミナ・・・生き物小話に救われます。フクイチ事故の原点が冷戦の結果としての広島長崎にあると捉えると、ただ福島の問題ではなく、日本だけの問題でもなく、人類全体の問題であるというのが、よくわかります。脱原発への抵抗が強固で執拗なのも、そういう背景があるからなのでしょう。写真はデイベッドを挟んでうつらうつらのハヤとクウ。平和だなあ。
長崎のヴィッラ。向こうの食卓と手前の厨房の間に「曖昧な空間」が挟まれています。天井は大平版、床はモルタル、壁は外壁材がまわりこんでいて、内外の仕切りがあるという意味で「内部」であるほかは「外部」仕様の空間になっています。「内部」の生活空間と外部とのあいだの緩衝領域になっているわけです。「曖昧な空間」に面した部屋側の開口部のガラス戸と網戸は両側に引き込まれています。この住宅では居室の仕切りの扉はすべてが引戸になっていて、外との関わりあい方を自由に調整できるようになっています。「曖昧な空間」がどのように使われるのか楽しみです。
長崎のヴィッラ。竣工写真撮影に立ち会いながら切ったシャッターの数が膨大すぎて整理するだけで大変です。アナログ時代には懐具合も考えて構図を厳選していましたから、隔世の感あり。その時代にウブドゥのアマンダリで体験した壁に囲われた露天風呂が、やっとここでこの屋外シャワーに結実しました。気持ちいいだろうなあ。
長崎のヴィッラ竣工。15時から翌日15時までの撮影は完璧に天候に恵まれ素晴らしい映像が記録されました。太陽が湾の向こうの山並みに姿を隠そうとするころ、界隈の顔見知りの猫も棟に上がって、絶景かな。目が合うと寄ってくるのでそっと狙いましたが。
海が荒れても開けた日の「武蔵」の一品。湯引き2点はハモとコモンサカタザメ。後者は長崎でも珍しくて島原あたりで「きゃあめ」と呼んで珍重されているそう。サメから遠く離れたおいしさでした。長崎の名残を惜しむなら、街深く踏み入らなくちゃと、翌日の昼はここで教わった
寿々屋へ。「名物」ではなく「街の」皿うどんはいけます。当然の極細麺に金蝶ソース。大将のお気に入りは焼きめしに「特製」うどんスープだそうです。「武蔵」の名が口に出たとたんに自家製の「紫蘇茶」が出てきました。街の夏、ですね。
[doghouse]の中庭には虫がいろいろ。アゲハが好きな柑橘類もあるので大型の青虫ものそのそ。でもバラに着いたのが運の尽き。
長崎の現場。東京での普段の仕事では現場に浸り切りになるということはないので、すべてが現場の三日間は刺激的でした。梅雨明け直前、浮世絵のような目に見える雨が降ったかと思うと、突然の陽射し。中間領域を形成するファイバーグレージングが思わぬ情景を作りだします。写っているのは左官、タイルなどモルタル絡みの万能選手Mさん。お世話になっています。
長崎の現場。やっと照明チェックを終えたばかりの椅子もテーブルもない現場でよく冷えた白で乾杯。3年前雑草生い茂るこの地をクライアントと二人で確かめて始まったプロジェクトの確かな結実を確認しあいました。どんなレストランでの乾杯よりもうれしいセッティングです。8時を過ぎて宵闇に溶け込みつつある空を流れる雲からも目が離せませんでした。白家園の豚まん、合いました。
長崎の仕事が終わりに近づき、ずっと気になっていたトルコライスをやっと片付けました。せっかくだから元祖との誉れ高い「ツル茶ん」(ひどい店名ですね)。ピラフに乗ったカツにカレー風味ソーズがかかり付け合わせにナポリタン。想定どおりとは言え、もうこれっきりの一品でした。店の片隅に何故か置かれたニッパー一家が象徴的です。
フクが逝って半年。あの時地鎮祭を迎えた長崎のヴィッラも竣工間際です。この写真は2005年の7月7日撮影。フクは8歳、シェパードは歳をとりません。
久しぶりの我が家で娘が教えてくれた「化石」。葉脈だけが白く残って何とも言えない儚さ。場所からするとブルーベリーかレモンなのでしょう。中庭の植物に目を遣るゆとりを失くしてしまっていたことにも気づきました。
気まぐれに暫し降る亜熱帯さながらの雨のおかげか、[doghouse]のシマトネリコがこんなに成長して、一斉に花が咲きました。蜂、蝶、鳥など来客もいっぱいでそれなりに楽しませてくれていますが落ちてくる花弁はけっこう邪魔なので、ばっさり切ってしまおうと思っています。今日はほぼ一月ぶりのお休み、しっかり楽しまなくちゃ。
“What Have They Done to the Rain?” (Malvina Reynolds作)。米ソの原水爆実験による放射能汚染が激しかった1960年代にジョーン・バエズなどで流行った懐かしい唄ですが、この歌詞が21世紀の日本にいて身に浸みることになるとは、迂闊にも思ってもみませんでした。11日から12日にかけて熊本を中心に発生した「経験のないような大雨」で熊本市の空間線量が激しく上昇していることに、愛読している
院長のブログに表示されている線量実況表示を見て気づきました。比較的安心だと思っていた九州の空までもがしっかり汚染されているということなのでしょう。長崎の知人に報告したら、海の方はこんなだよとドイツで作成された
海洋汚染シミュレーションが返ってきました。フクシマのセシウムが太平洋中に拡散して2年目あたりからは日本海の入り口あたりにまで押し寄せています。長崎の魚もそろそろ要注意なのか・・・。でたらめな電力不足報道をマスコミ総動員でデッチ挙げた揚句の原発再稼働茶番劇、ひどい。
写真はちょっと身構えてしまっているクウ。なんの関係もありません。
[doghouse]の道際の植栽のひとつに不思議な球状の花?が咲く樹があります。誰の目にも珍しいらしく、家の前で何度となく名を尋ねられているのですが、答えられません。3年前に
ギンネムという候補を見つけましたが、葉の形状はネム系ではないので正答とは言えないような気もします。
広島の旅から。宮島へは路面電車で行きました。原爆禍のほかに広島と長崎に共通することのひとつが路面電車。均一料金は\150 vs. \120。広電の宮島線は路面ではなく専用軌道で高床の車両が混在しているようです。スピード感がありましたね。山陽本線との併走の様子は生まれ故郷の須磨界隈を思い起こさせてくれます。これは広電の宮島口駅。
2011年にリフォームした
祖師谷の家にお招きいただきました。去年の3月11日のあの出来事はこの現場に向かっている途中に起きました。こうしてみんなで乾杯できる幸せに感謝したいと思います。たくさんのごちそう、楽しい時間の中で、記録に残っていた映像はこれ一枚。ひよこ豆に何故このチーズなのかはまた後で。幸せな夜でした。
長崎はお祭り大好きの街。「龍馬の道」はすっかり七夕モードになっていました。背景に写っている洋風建物が私の定宿。右手には「武蔵」があります。
猫の親子。子育ての猫はすごいよね。仔猫はもうかなり大きくなっていて親離れ寸前のよう。人は比較にならないくらい時間がかかるけれど、離れられるまでが楽しいかな。
長崎で新発見のフレンチ「ピエドポー」。感動の軽くスモークした鯖のサラダはFBにアップしました。店名に因んだ豚の飾り物が店内いたるところにあります。これは洗面所の壁。気に入りました。
現場を午前中に切り上げて羽田へ。そして夜には三鷹芸文でマリオ・ブルネッロのチェロ・コンサート。三週間休みなしのハード・スケジュールの中での極上の音楽。お隣の斎藤さんのお誘いです。バッハの無伴奏チェロ組曲もさることながら、初めて聴く曲でのチェロの表現力の豊かさに感動。ロマックス父子が採集した合州国の伝承曲をベースにしたJ.ウィアのUnlockedは特に面白かった。アンコール2曲目のアルメニア民謡にもはまりました。家から歩けるところにこんな場があることに先ず感謝。そして余韻に酔いながらお隣でBrunello di Montalcino。どんなに忙しくてもこういう時間は大切。お隣にも感謝。写真は久しぶりの我が家の中庭。三鷹もいいなあ。
広島建築旅行。先ずは原爆ドーム。福島の悲劇の根源は原爆にあったことがじわじわとわかってきました。30年以上前「ワークショップ」で呉に現場があり、広島経由で通いました。その時以来の再訪です。
長崎ではなく広島へ。学生たちとの建築旅行です。初めてのBoeing 787でのフライトが楽しい。眠いはずなのに目を閉じる間がありませんでした。ディテールはのちほど。ウォシュレット機能付きとの噂のトイレは探索し忘れました。