荒木町

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高校同期に誘われて久しぶりに荒木町で飲んだ。その昔この界隈でよく飲んだのは1986年のハートランドの設計で出会った田村光男さんがこの近くにいたからだ。この人間臭い男は独特の個性に溢れた人たちを惹き寄せる力があった。田中泯、越智兄弟、大貫妙子、立川談志、Iva Bittováと出会ったのは彼との縁によるものだ。一緒に仕事をしよく酒にもつきあったのだが私はいつもある種の畏れを彼に抱いていて、高校の先輩でもあるのに後輩として接したことは一度もなかった。田村さんの中の私にないものへの憧れもあったのだろう。その田村さんが2014年に急逝されて私にとって荒木町は遠くなっていたのだが久しぶりの2日後に今度は仕事がらみで近くに行く機会ができた。何かの縁かなとの思いもあったのか懐かしさも手伝って路地裏横丁の奥の窪地に足を踏み入れた。東京は実は起伏がそこそこにあって急坂も少なくないのだが周りがすべて高いこのような窪地は珍しい。一番低い底には「策の池」という不思議な名前の小さな池があって周りの高い処には高いビルも多いものだから薄暗くて寂しい。降りて行く路は階段状で折れ曲がっている。荒木町は知っていてもこの窪地の存在に気付いている人は少ないだろう。「策」を「むち」と読めるひともそうはいまい。地理院地図で標高を調べると一番低いところが21.5mで回りは30mくらいはある。今の池は幅10mもない小さなものだが明治迅速というネット上の古地図を見るとこのあたりに長さ150m近い池がある。同じ地図にある十二社池よりも大きい。十二社と同様に池の周りに桜の木がありかつては後楽地としてにぎわい界隈に花街が形成されその名残がいまの荒木町ということらしい。なにやら陰りも秘めた時が積み重なった深くて暗い窪地をかかえる街。だから人を惹きつけておいしいものが残っているのだろうか。あらためて田村さんらしい町だなあと思いふけった。路地には古くからある渋い店も多いのだが穴子の「ます味」はもうなくなっていた。あまりにも思い出深い「べえ」に寄るのはまたの機会にしようと街を後にした。
 
2018/02/14(Wed) 09:09:21 | doglog
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木下道郎 ・ 建築家
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