songs are unlike literature

Dylanのノーベル文学賞受賞レクチュアが6月5日に公表された。10日が期限だそうだから学生の再提出ぎりぎりすべりこみみたいなものでかわいい。受賞のあと自身の歌と文学の関係について考えたとレクチュアの冒頭で語っているが本当にまじめに考え抜いてぎりぎりになったのかもしれない。外連味のない素直な文章で彼の歌について語っている。Dylanがリズミカルに読むテキストはもうそれ自体が作品だ。1964年にカーネギーホールでのコンサートで披露された7分余の朗読Last Thoughts on Woody Guthrieを思い出す。バックに流れる不思議なピアノは最初の日本公演の時に同行しているAlan Pasquaであることが直ぐネットで明らかになった。レクチュアの構成は型どおりでよくできている。Buddy Hollyとの出会いを引き合いに音楽との出会いを語ったあとで影響を受けた文学として「白鯨」「西部戦線異状なし」「オデュッセイア」を紹介。全4000語のうち2600語を3作の紹介に充てて量的にも大作に仕立て上げている。要領もいいな。人を惹きつける物語3本に再構成しているところはさすが名うてのストーリーテラーだ。しかもいくつかの部分は2人称で語られている。人称を使い分けてストーリーに厚みを持たせるのは彼の得意技だ。you tooを繰り返すくだりにメロディを乗せれば彼らしい歌になりそうだ。彼の歌作りの方法の核心に触れる文が散りばめられている。「誰も聴いたことがないような歌を書きたかった」「歌は感動を伝えるもので論理をつたえるものではない」「あらゆる種類の物事を歌にしてきたがひとつひとつの意味は気にしていない」。最後に歌と文学は違うものだと述べたあとの「オデュッセイア」からの引用「女神よ私に歌わせたまえ、そうして私に語らせたまえ」で私は考え込んでしまうけれど彼はどうだ恰好いいだろうと見栄をきっているのだろう。私はノーベル文学賞に相応しくないと受賞を拒否しこのパフォーマンスで応えていればそれはそれで絶賛だっただろう。受賞の知らせをすぐには受け取らず、授賞式には出ず、ストックホルムでのライブのついでにこそこそと泥棒猫のようにメダルを受け取り、賞金獲得期限ぎりぎりに破天荒かつ真摯なパフォーマンスを発表。万事がディラン流だ。お見事です。
このパフォーマンスはテキストを読むより耳で聴くのが何倍もいい。たいへんわかりやすい英語だが私にはこの字幕付きがうれしい。

6月13日に日本語訳も公開されているので興味ある方はこのサイトをご覧ください。
2017/06/10(Sat) 09:06:30 | doglog
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木下道郎 ・ 建築家
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