大谷

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今年の3月4日の斎藤輝彦さんのコントラバスリサイタルの最後の曲は急逝された支援者に捧げられていた。おそらくアイルランド民謡が元になっている美しい曲は沈みゆくタイタニック号でバンドが最後に奏でていた讃美歌320番だそうで映画「タイタニック」でも使われている。支援者の松岡裕子さんは斎藤さんがらみでも何度かお目にかかっている建築家の松岡拓公雄さんの奥様。今は奥様との思いでだけで埋め尽くされている彼のフェイスブックに載っていた大谷石採掘場跡に強く引き寄せられて大谷にでかけた。圧倒的空間は言葉では説明できないので無数に撮った写真のうちの4枚を載せる。

フジロック

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ボブディランがフジロックについにやってくる。「ボブのニュース」サイトからの引用だが、主催するスマッシュの日高正博氏によると「今まで何回も何回も話をしてきて、過去に土壇場でキャンセルくらったこともあったけれど、今年は不思議なことに『出たい』って言ってくれた」のだそうだ。過去の例だと大物はトリと決まっていたのだが今回のディランは18:50-20:20。東京に列車で戻るぎりぎりの時間設定だ。特別なセットリストになるとうれしいのだが、最近の欧米でのロックフェスティバル出演ではただ曲数が少ないだけで曲目の変化はない。極東ツアーの初日27日ソウルのセットリストではオープニングとアンコール前の曲が変わった。シナトラナンバーは1曲だが前ツアーも初日はそうですぐに3曲に増え最後まで変わらなかった。大勢は変わらずというところか。出演の29日の前日の今夜は苗場から峠越え7kmの法師温泉に泊まる。心配なのは私たちの旅程と連動しているかのような台風12号の挙動。直撃はないが山は荒れるだろう、無事に宿に着けますように。いずれにせよこのまま通り過ぎて当日は台風一過となるはず。写真は来日記念盤として日本で企画されたlive 1962-1966。みごとな選曲でデビューからプロテスタントソングの旗手を経てロックに転向する5年間を聴かせてくれる。筋金入りファンが言っても説得力はないけれど、ディランの凄さが身に浸みてわかる2枚組だ。
 

城崎

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但馬・丹後の旅。出石の「宮脇ファン」がつくってくださった旅程は気持ちがこもっていて細やかだった。1日目の夕食は宮脇さんがお気に入りだったという但馬牛焼肉屋。出石から日本海側にかなり行った豊岡駅近くのその店から城崎まで足をのばしてみた。私にとっては志賀直哉の『城の崎にて』というよりは吉永小百合の『夢千代日記』の世界だ。このドラマは亡くなった父が好きだった。ほろ酔い加減で歩いた夜の温泉街はまぼろしのようで写真もおぼつかない(笑)。

中学校

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但馬・丹後の旅。宮脇檀の出石町4作目は出石中学校(1999年竣工)。宮脇さんは竣工を待たずに1998年10月逝去。その名のとおりの谷山川が出石川に合流する中洲のようなところにしっくりと馴染んで土壁色の中学校がある。潤沢な予算でつくられたのびやかな空間に建築家の自己表現はない。先生に案内されて見学する私たちに生徒たちが自然に挨拶をしてくれる。重村さん(いるか設計集団)の小学校と宮脇さんの中学校で学ぶ出石町の子どもたちは幸せだ。15年もお世話になっている日大生産工学部居住空間デザインコースの宮脇さんの縁で初めて訪れた出石からたいせつなことを学んだ。


重伝建

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但馬・丹後の旅。出石の町は三方を山に囲まれ水量豊かな出石川が流れ自然が豊かだ。町には1901年開館の芝居小屋「出石永楽館」もあって紆余曲折を経て2008年から歌舞伎も上演できる小屋として再生されている。片岡愛之助の定期公演が毎秋続いている。20年間にほぼ6件の公共建築を建築家に発注したという実績も含めて経済的にも豊かな町なのだろう。静思堂でのレクチャーの「建築費の財政負担による指標悪化を治水事業の交付税等で乗り切った」くだりを聴いて、暮らしを楽しむ豊かさの基礎にこういった知恵があるのだろうと、ふと思った。出石町には40数軒のそば屋があって「出石そば」が名物になっているが、信州上田市との縁を元にした観光協会(1962年設立)の努力の成果だそう。協会は1998年には「出石まちづくり公社」に発展し出石町は2007年に重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。町民参画でかつ経営的視野を持つ運動体の成立に「静思塾」での交流が大きな役割を果たしているのだろう。

美術館

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但馬・丹後の旅。宮脇檀の出石町2作目は町立伊藤清永美術館(1989年竣工)。ここも黒い瓦屋根と土地の色の壁。風土への馴染を先に立たせてここでも建築家の個人的表現は抑えられている。ここでも私たち一行は館長とキュレーターに出迎えられ説明を聴く。企画展開催中の造形作家稲葉猛さん自らの解説で空き缶を使った平面構成を鑑賞している傍らを含め館内あちこちで青木尚哉グループによる身体表現が繰り広げられている。堅苦しさのまったくない楽しい雰囲気は町に根を張った美術館の証だろう。建築の柔らかさもあってのことに違いない。竣工の2年後1991年に居住空間デザインコースが創立されている。

出石町

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但馬・丹後の旅。現在は豊岡市の一部になっている出石町は豊岡盆地の片隅にあり三方を山に囲まれている。出石川沿いに水田がひろがる豊かな土地で出石城の城下町が起源になっている。標高差310mの城山から町が一望できる。建築の写真のうち上2枚の設計が宮脇さん。左が出石町庁舎、右が出石中学校。下2枚がいるか設計集団。左が文化会館ひぼこホール、右が弘道小学校。遥か彼方からの映像でも街並みへの溶け込み方の違いがわかる。弘道小学校は土曜の朝の散歩に訪ねてみた。山裾の斜面に分棟で教室群が連なる斬新な小学校。都会と違って街から仕切られていないので敷地内に入って見学させてもらった。たまたま居合わせた先生から解説していただけたのはラッキー。先生方にとっては運動量が多いなど使いにくい面もあるようで称賛は聞けなかったが、生徒には間違いなく楽しい学校空間だろう。いい建築だと思う。

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kinoshita
木下道郎 ・ 建築家
詳しくはworkshop-kino.com

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