日本庭園やお茶室などでお馴染みの「止め石」が江之浦測候所でも使われている。「入らないでほしい」という意思表示をさらりと表すさりげない記号を持つ文化はこの国にしかないだろう。たいせつにしたい。留め石、関石、極石、踏止石、関守石などとも呼ばれる。wikipediaで対応外国語をあたってみたらポーランド語のsekimori-ishiが見つかった。「冬至光遥拝隧道」の突端にも止め石が置かれている。公営だったら絶対に手摺が付くだろう。管理者の潔さに拍手。
客席は古代ローマからの「写し」。コルテン鋼の隧道が花道のようでもある。江之浦測候所にはもともとの文脈から切り離された古今東西の「考古遺物」が布置されることで「折衷世界」を形成しているのだが、この「清水寺」と「古代ローマ」の対峙は私には素直に受け止められない。
海と光学硝子の取り合わせが美しい。冬至の朝、硝子の小口には陽光が差し込み輝くのが見えるそうだ。光学硝子の平面を舞台であると考えるとこれを支持している「檜の懸造り」は私にはうるさい。白州の田中泯の世界にかつてあった「森の舞台」は舞うための場だけが大自然の中に存在していた。
江之浦測候所。職業がら建築物のあっとおどろくディテールに関心が集中してしまいがちになるのだが、場の空気が出ている写真をできるだけアップしよう。これは「冬至光遥拝隧道」の中程の「たまり」。室町時代の井戸枠の上部には明り取りの開口が設えられていて暗闇に明かりが降っている。雨粒の一滴一滴が井戸に敷き詰められた光学硝子破片に降り注ぐのが目視できるそうだ。
「測候所」という名が巧みだ。大自然、宇宙、海の向こう、状況、時代等などを観察する場所なのだ。これはコルテン鋼でできた「冬至光遥拝隧道」。冬至の日の出がこの軸線上にある。長さ70m。ダニ・カラヴァンのチューブはベンヤミンへのオマージュで海面に向かっている。
杉本博司の江之浦測候所は真鶴と根府川の間の相模湾を見下ろす崖の上にある。先ずは入口横の「明月門」の脇にあるこのかわいい柑橘類から。帰りに寄った「れんが亭」のシェフがお土産に地のシークヮーサーをくれて、この樹の名がわかった。和名の平実檸檬を名乗ったほうがここでは合うかもしれない。
三島から根府川に向かう途中で真鶴に寄ったのは学生が調査していた「背戸道」のことが頭の片隅にひっかかっていたからだろう。「背戸」というのは家の裏のことで要するに裏道だ。あまり時間はなかったので階段と急坂だらけの細いくねくね道を港まで歩いて昼は駅前の「鶴鮨」にした。小さな半島に漁港が3つもあると大将が教えてくれた。マグロイクラウニが入った上寿司もあるがここは地魚握りだろう。写真は左上から的鯛、石鯛、金目鯛、カンパチ、スズキ、アワビ、ヤリイカ、ウマヅラハギ、アジ、伊勢海老。次があったので酒を控えたのは残念。
長崎も市場に行かない地魚が美味しいのだがこれを旨く握ってくれる鮨屋はそう多くはない。この写真の「志乃多」は屋台に屋根がかかったような気さくな店でウニとかイクラとかはなく地魚が幅を利かせている。たいへん狭いので連れだって行くのはどうかとかためらっているうちに閉店してしまったのだが、暫くして近くに弟子が店を開いたらしい。地魚を堪能させてくれた居酒屋「武蔵」が閉店してしまったから今度は必ず行こうと楽しみにしている。
ひょんなことから由比という漁村に出会って「銀太」の鮨が気に入って年に一度くらいは出かけるようになった。駿河湾で育って由比に上がった魚は美味しい。写真は左上から太刀魚ポン酢もみじおろし、真鯛塩ウロコ唐揚げ塩、ふぐポン酢もみじおろし、ヒラメ昆布〆、石鯛、ヒラメえんがわ、ほうぼう、桜えび。魚市場には出回らずに漁師仲間で食べてしまう珍味もつまみとして出てくる。はだかイワシや太刀魚の稚魚はここ以外ではお目にかかったことがない。
松本電鉄上高地線という名前だが経営会社は「アルピコ交通」で同社唯一の鉄道路線。同線松本駅のホームはJRラチ内なのでうっかりSuicaで入場したら車内も駅もまったくSuica非対応だった。停車してから運転士に相談するべきだったようだが東京暮らしの感覚では思いつかなかった。ローカル線は楽しい。終点の「しんしましま」(新島々)の響きは妙にかわいい。近くにあった島々集落に由来しているのだそう。
「まつもと市民・芸術館」(伊東豊雄2004)はよかった。エントランスから緩やかな大階段を経て「シアターパーク」と名付けられた2階へつながる「開いた部分」が効いている。緩やかな曲面で構成された外皮に不定形の丸い明り取りが無数にランダムに散りばめられているおかげで建物が都市に対して固くなっていない。魅力的な明かり取り群のおかげでフォトジェニックな写真が何枚も撮れたけれど敢えてここではそれらを封印して「開いた部分」の写真を選んだ。誰でも入れるところがこんなに広くのびやかなのがこの建築の一番の魅力だと思う。
松本に「ニッパー」がいた。蓄音機から流れる亡くなった主人の声に耳を傾ける忠犬がモチーフ。HMV=His Master’s Voiceの商標でもある。これは日本ビクターという関連電機会社がもう何十年も前に電気屋に配した販促置物で最近はほとんど見かけなくなった。[bigdog house]には1979年の竣工から十数年のあいだ何故か同じものがいたが、雨ざらしだったのでそのうちに朽ちてしまった。最近日経アーキテクチュアのwebにアップされた当時のワークショップの3人の写真よりもまだ少し前の懐かしい思い出。
諏訪から松本に移動して篠原一男の浮世絵博物館(1982)に足を伸ばしてみようということになった。松本電鉄上高地線の4番目の駅で降りて10分強歩くはずだったのだがなんと方向を180度間違えた。実はスマホを併用するようになってからこういう失態をしばしば繰り返している。猫とは違って方角に無頓着なのだ。15分近く歩いて間違いに気づくのだから典型的「犬知惠」だ。文句の一つも出ないのに甘えていてはいけないと、政治家のように口先だけでなく、反省している。珍しいダイサギに出会えたので自分自身の平静を保つことはできた。
松本は豊かな街だ。鳥の小さなフィギュアが目に留まって立ち寄った「栞日」は独立系出版物が主軸の本屋さんで、喫茶でもギャラリーでもある。入り口脇に鎮座している西ドイツ「ハイデルベルグ社」の活版印刷機にも鳥が留まっている。白いままのフィギュアもたくさんあってこれに着彩すればスズメ目Passeriformesの鳥ならなんだって作れるというわけだ。よくわからないが鳥の楽しさに満ち溢れた空間だ。
諏訪湖には岸辺まで緩やかに芝になっている公園があってその形状のせいか鴨の群れが陸に上がってなにやら啄んでいた。こんな具合の水鳥に出会うのは珍しい。遠目には小型の哺乳類の群れのように見えなくもない。鳩とは首の動き方が違って恐竜の群れには見えないが、鳩が首を奇妙に前後させながら歩く様を見ると鳥の祖先が恐竜だとする説に合点が行く。
諏訪湖には花火を打ち上げるために造られた小さな人口島「初島」があって鳥たちの絶好の居処になっている。だからというわけではないだろうが鳥居も設えられていてちょうど鵜が我がもの顔で居並んでいた。写真には写っていないが水辺にもずらっと鵜が並んでいる。鳥居の語源は諸説あってよくわからないらしい。そう言えば「鴨居」にも何故か鳥がいる。いずれにせよ建築用語に生き物絡みが少なくないのは私にとって楽しいことだ。
諏訪湖畔のそぞろ歩きは楽しかった。肉眼ではよくわからない遠くの鳥もコンデジの望遠で引き寄せることができる。突堤に猛禽類がいるのを見つけてカメラに収めてさらに近寄ると飛び立った。すかさず捉えた映像には爪に引っ掛けられた魚がくっきりと写っていた。飛び去った跡は近くにいたカラスが直ぐに検分、空には仲間が数羽集まった。獲物はどうなったのだろうか。源兵衛川の「鳥おじさん」は親水公園を歩いていた鳩が空から襲ってきた鷹に仕留められるのを目撃した話を聞かせてくれた。構えていたカメラを向ける間はなかったそうだ。
諏訪湖は中央高速のサービスエリアから遠く眺めていただけで訪れたのは初めて。山に囲まれた美しい湖で鳥がたくさんいた。今年は結氷して5季ぶりに「御神渡り」が出現したとのこと東京よりはずっと冷涼なところなのだ。ここに来たら伊東豊雄の諏訪湖博物館に行かなくてはとずっと思っていた。彼と同じ諏訪出身の藤森さんがどこかで伊東さんの建築の水平性と諏訪湖の水面の関係を語っていたからかもしれない。知り合いの伊東事務所出身者二人が「藤森さんの史料館に行ったほうがいい」と口をそろえた。こうして湖越しに見ると美しいオブジェだ。魚だろうかあるいはひっくり返った船底か。確かにそれだけでしかない建築だが、それはTOD’SもMIKIMOTOも同じだと思う。
新旧スーパーあずさが並んだ松本駅。新型が去年12月23日にデビューし旧型は3月16日で現役引退となる。今回の諏訪・松本の旅は往きが新型で帰りが旧型だった。座席周りの快適さは圧倒的に新型の方がいい。電源コンセントが各席に用意されているのもうれしい。帰りの宴は手狭だったがもうこれで乗り納めと思うと幸せな気分だった。JRの運賃・特急券は高いけれどえきねっとの「トクだ値」で35%オフでゲットするとまあいいかという感じにはなる。65歳以上の30%オフはまだ必要ない(笑)。
「鳥おじさん」たちは三脚付きの重装備だから穴場に焦点を定めてあまり移動をしない。だから歩き回っている私たち素人の方がたまたま先に幸運に恵まれることもある。上にいましたよ、とコンデジの映像を見せたら、カメラの大きさと画質がまったく比例していないのに驚いた様子だった。それでもさすが玄人はすかさず気を取り直して嘴の下が赤いのはメスだよと教えてくれた。
稔り多い源兵衛川辺歩きには鰻重も付いているのがさらにうれしい。富士山の伏流水で鰻を育てているから美味しいのだそうだ。今回は超有名な「桜家」ではなく「うなよし」を選んだ。白焼きを含め納得の味だったが団体観光客を受け入れる、昼は酒は出さない、という経営方針が私たちには合わない(笑)。地元の人が贔屓にするような鰻に巡り合うには時間がかかるのだろう。
カワセミは小さくてあまり動かないから見つけるのはたいへんなのだが人が集まって息を止めているところには必ずいる。そっと集団に混ざりこんでカメラを同じ向きに構えていてコツコツと音が聞こえる方を見上げたらコゲラがいた。小ぶりのキツツキだ。これは伊豆高原で一度捉えたことがある。
シロハラに出会って喜んでいる矢先に長大な望遠レンズをかまえる「鳥おじさん」のひとりに行き当たった。もっとめずらしいのがいるよと指さしてくれてやっとみつけたのがトラツグミ。これは初めてだ。毎日通って朝から晩までいるのだそうでいろいろと詳しいわけだ。こういう触れ合いも街歩きの楽しみの一つだが男は不器用なのでちょっとした助けがないと素直になりにくい(笑)。
興味深く鳥を眺めているうちに名前のわかる鳥の種類が少しずつ増えてきた。普段の生活領域では出会う鳥の種類はかなり限られているのだが三島あたりまで足を伸ばすと様子は違ってくる。源兵衛川のシロハラを直ちに同定できた納得のつぶやきを聴いてもらえたのはうれしかった。
源兵衛川にカワセミがいるということはそこに魚棲むということ。だから鷺の類も歩きながら時々嘴を流れに刺している。こんなに真っ白だと水面下の魚たちに察知され易いのではと思うのだがそういうものではないのだろう。ちなみに脚の水に浸る部分は鮮やかな黄色だ。
5回目のカワセミとの出会い。すっかり鳥に馴染んできているせいか源兵衛川でもカワセミに出会った。しかもオスメス2羽。「鳥おじさん」によればオスとメスは流れの上手下手に分かれて棲んでいて川沿いに行ったり来たりしながら徐々に近づいていて、もうすぐゴールインだろうとのこと。この個体はオス。
荒木町で田村さんを偲んでから始まった「交互連鎖タイトル」は二軒家で締めよう。[二軒家アパートメンツ]は渋谷区本町にあるのだがずっと以前この界隈は「二軒家」と呼ばれていた。今でも二軒家公園、二軒家町会、地域交流センター二軒家などに地名が残っている。裏道には古い小さな区画がまだまだ残り味わい深い飲食店もいくつかあるのだが、方南通り沿いには大型ビルがどんどんできてしまっていてついに20階建てのAPAホテルまでできてしまう。街は思うようには良くなっていかない。写真はお気に入りのサラダ屋さんの近くにある二軒家町会会館。鋭角の狭小地に建つ不思議な建物。
事務所がある[二軒家アパートメンツ]は遊歩道と言う名の暗渠に沿って建っている。公的な場所なのだが自動車は通らないせいか私的なモノが滲みだしていてなかなか味わい深い。従って界隈に生息しているネコも多い。溶け残った雪陰からうっかりカラスを狙ってしまうネコの挙動は好きだ。
2015年に
夏祭りの伊是名島に渡るために行った沖縄では台風に出会った。フェリー欠航で浮いた時間に伊礼さんの勧めで訪れた備瀬集落には街並みがまだ残っていて居心地が良かった。フクギ並木の路の真ん中で脚が止まり撮影者に一瞥してしまうネコの挙動は好きだ。