New York,1982年冬。雪のPaley Park。人がいないのは扉が閉ざされていたからだったと記憶しています。このさらに22年前の1961年1月24日、20歳少し前のボブ・ディランはミネソタ州の寒村からヒッチハイクなどでニューヨークに辿り着きました。やはり寒い冬だったようです。
Village Voiceのサイトが50年前のディランのニューヨークでの足跡を日毎に再現しています。
New York,1982年冬。4ヶ月の合州国建築旅行の大半はグレイハウンドでの旅烏でしたが、ニューヨークにだけはひと月ほど逗留しました。そのうち半分くらいはワシントン・スクエアに面した小さなホテル暮らしで、グリニッジ・ヴィレッジの日常の一端を体験しました。今では日本のエキナカにだってあるDean an D Delucaがウッディ・アレンの「マンハッタン」に出てくる古い店ひとつだった頃で、そこで提示されていたライフスタイルの新しさにたいへんな刺激を受けました。60年代にはボブ・ディランが暮らしていた街でもあります。
New York,1982年冬。28年前のNew York Cityのクリスマス。五番街トランプタワーでのイベント。雪もたくさん降って寒い冬でした。CATSがロンドンからブロードウェイに上陸したばかりで、チケット入手は不可能のはずでしたが、クリスマスの席だけは10日くらい前でも通常ルートで入手できて、貴重な体験をすることができました。メトロポリタン・オペラは音楽サティ、台本コクトー、美術ピカソという目も眩むような「パラード」。ニューヨーク・シティ・バレーは建築家のマイケル・グレーブスが美術を担当したジョフリー・バレーの「ファイア」。当時の東京にはなかったものがいっぱい。正装の人々が集うオペラハウスにも11ドルの「天井桟敷」が用意されているところもいいなと思いました。1ドル270円でしたけど。
1985年イタリアの旅から。Treviso郊外にあるCarlo Scalpa設計の墓所。Brionvegaは社名で日本で言えば松下電器のような大電器会社。当時はインターネットもガイドブックもなく、曖昧な情報をたよりに宿泊地のPadovaからバスで近そうなところまで行き、一面のぶどう畑の中を迷いかけたところで道を尋ねたドライバーが運よくこの建築を知っていて、車に乗せて連れて行ってくれました。感動の建築でした。
1985年イタリアの旅から。ギリシアから船で上陸したバーリから私鉄に乗ってやってきたアルベロベッロ駅。プラットフォームにカフェが展開されているところが、さすがイタリア。
1988年トルコへの旅F 街角の野菜売り。どこの町だったかは忘れてしまいました。トルコと言われなければどこの国だかわかりませんね。野菜は意外にグローバルなのかな?売り手の暇さ加減もよくある感じです。トルコの写真はこれでおしまい。
横浜歩きで出会ったどこか懐かしい空間。飲食店の導入部なのですが、絵になっていました。四角く割られた固い街から、異空間をすり抜けて、その先にどんなお店があるのでしょう。思わず引き込まれそうになってしまいました。中身がしっかりしていれば、これはこれで、いいかも。