
今年は桜がいつもよりも少し早く開いて冷え込みもほとんどなかったから花見にはよかった。満開もいいが散り始めてからのはらはらした風情がまた桜らしくていい。日本橋の高速道路脇にも桜があって船着き場には花筏。粋な呼び名だなあ。


杉本博司の写真作品は「夏至光遥拝ギャラリー」に置かれている。水平線を撮った写真7点。大谷石の壁に沿う100mの長さのリニアな空間と江之浦の自然を仕切っているのは枠もなく自立しているガラスだけ。両端にある扉も、ガラスの手摺も実にスマートにおさめられていて自律的にただそこに在る。写真の水平線の連続の先には相模湾の水平線が在る。江之浦測候所での豊かな時間には建築とは何かという自らへの問いがしつこく付きまとっていた。なにはともあれ杉本さんの英断に敬服。

コルテン鋼の「花道」が円形劇場を突き抜ける脇にふっと出現する石室のような空間は好きだ。「花道」に正対する壁に全身が写る鏡面が在って手前直ぐの天井には正方形の明り取りが穿たれている。二人でいればここでツーショットを撮るのが成行きだ。異なる時空に自分たちがいるかのような映像が残る。おもしろい。

日本庭園やお茶室などでお馴染みの「止め石」が江之浦測候所でも使われている。「入らないでほしい」という意思表示をさらりと表すさりげない記号を持つ文化はこの国にしかないだろう。たいせつにしたい。留め石、関石、極石、踏止石、関守石などとも呼ばれる。wikipediaで対応外国語をあたってみたらポーランド語のsekimori-ishiが見つかった。「冬至光遥拝隧道」の突端にも止め石が置かれている。公営だったら絶対に手摺が付くだろう。管理者の潔さに拍手。

客席は古代ローマからの「写し」。コルテン鋼の隧道が花道のようでもある。江之浦測候所にはもともとの文脈から切り離された古今東西の「考古遺物」が布置されることで「折衷世界」を形成しているのだが、この「清水寺」と「古代ローマ」の対峙は私には素直に受け止められない。

海と光学硝子の取り合わせが美しい。冬至の朝、硝子の小口には陽光が差し込み輝くのが見えるそうだ。光学硝子の平面を舞台であると考えるとこれを支持している「檜の懸造り」は私にはうるさい。白州の田中泯の世界にかつてあった「森の舞台」は舞うための場だけが大自然の中に存在していた。

江之浦測候所。職業がら建築物のあっとおどろくディテールに関心が集中してしまいがちになるのだが、場の空気が出ている写真をできるだけアップしよう。これは「冬至光遥拝隧道」の中程の「たまり」。室町時代の井戸枠の上部には明り取りの開口が設えられていて暗闇に明かりが降っている。雨粒の一滴一滴が井戸に敷き詰められた光学硝子破片に降り注ぐのが目視できるそうだ。