相田みつを

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grutto pass #11。銀座一丁目界隈の夕暮れに間ができてしまうので、三井記念美術館に寄ろうと思ってgrutto passをチェックして、17時までなのに今度は気づいた。すかさずfinding museumを開いたらすぐ近くの国際フォーラムになんと相田みつを美術館がある。いくら何でもとは思ったけれど一時間以上バールで待つのはアブナイので思い切って入ってみた。もちろんgrutto pass。先入観をコインロッカーにしまって作品に臨んだけれど違和感はほぐれない。それならばひっかかるわけを探し出そうと余すところなく字を読み2本のビデオも観た。ほとんど宗教に近い尊大さ。それだ。教練の軍人との軋轢から徴兵試験に落ちている。兄二人を戦争で亡くしている。棘は奥深くにしまって文字はやわらかい。美術館の通路には洞窟のような穴が二つ穿たれていてそれぞれ木のベンチが設えられていた。そこに座ろうとは思わない。意外なgrutto pass効果(笑)。

東急東横駅

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1969年まだ高校生だった頃に東横線沿線に住むようになって以来渋谷駅との付き合いは永い。あの頃は駅前のaaで「じゃじゃ麺」。それから何年も経った2013年の副都心線乗り入れの頃から渋谷駅は「いつまでも終わらない工事中」状態に陥って、通り過ぎる方が無難な駅になってしまっている。駅周辺には巨大な建築がいくつも計画されていてそちらの工事も合わせて進行している。建築家がそれぞれ技の限りを尽くしても全体計画がお粗末だとまともな都市空間にはならないだろう。都市空間に最低限必要なことでさえ「工事中だからまあいいや」の無責任さを見せつけられているから不安が募るばかりだ。車椅子、ベビーカー、トランクの類は渋谷駅乗換に適合していない。13日に駅南側につながるstreamが開業してもその渋谷駅の混沌は何も変わらないが、ビルの低層部分の中にまで街が途切れなく続いて行くように共用部分が屋外になっているのはいいと思った。ファサードにランダムに取り付けられた意味不明の美しくもない白い板切れは、好みを言うことができるなら「きらい」だが、低層部の経済原則に抗った「余白」を正当化するための隠れ蓑なのかもしれないとふと思った。旧東横線渋谷駅の屋根壁が一部遺されていて50年前から付き合ってきた私には懐かしいが、これが意味のある記憶の継承なのかどうかは全体が完成してみないと判断できない。床にある杜撰なフェイクのレールを見ていると不安になってくる。どうでもいいことなのだが鉄道への愛は微塵も感じられない。「インスタ映え」すればいいとくらいにしか考えていないのだろう。おかげで哀感あふれる写真が撮れた。

日米地位協定

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街でなにかを手渡している人に出会うとほとんど反射的に手が出てしまう。新宿駅西口の動く歩道ではフリスクの試供品、清涼飲料、アイスコーヒーなどけっこうありがたいものに出会うこともあるが、いつものように都立大学改札前で手を出したら「赤旗」だった。興味がなくても一応目を通すところが我ながらえらい。敗戦後73年経ってなお米軍が駐留している「敗戦国」日独伊の地位協定の比較に唖然とする。独伊は締結後たびたび改定していて米軍基地内に自国法律が適用され警察権も及ぶのだそうだが日本はこの不条理な関係を耐え続けている。ちなみに国連憲章で「敗戦国」を規定する敵国条項の削除は1995年に決議案が採択されているが手続き上いまだに削除に至っていない。いざ領土問題となるとロシアも中国も「敗戦国」に領土を議論する権利はないと言い始める。写真はブラジル先住民の椅子展から。

isamu noguchi

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grutto pass #8。オペラシティー。隣りで先端アートの洗礼を受けた後のイサム・ノグチが格別だった。やはり見応えあり。作品解説はほとんど不要と言ってもいいだろう。開催の意義に半畳を入れるつもりはないのだが、あのギャラリーにおさまりにくいもの、例えば大きな石の彫刻とか「あかり」とかは数を抑えて、もう少し間を考えた見せ方をした方がいいのにと思った。庵治の蔵の中での体験と想い比べると負けてしまう。ところ狭しと「あかり」が並ぶのはうれしくない。一方興味深いものはほかに数多。1930年に紙にインクで描かれた「北京ドローイング」が新鮮な驚きだった。「私の無」の英語タイトルがMy Muだったりするところも面白い。写真は同展から1950年作の「こいびと」。18日放送の鈴愛と律は感動的だったなあ。
 

AI

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grutto pass #7。イサム・ノグチ展の隣のinter communication centerで開催中のopen space 2018 in transitionも覗いてみた。入場料無料だけれどもgrutto pass適用でスタンプも用意されている。AIなどの先端技術を使ったアートを展示している。なんだ無料かと高をくくっていたらそれぞれがたいへんな力作。文字による説明をしっかり読んでもよくわからない作品も多く、「こども向け鑑賞ガイド」が役に立った。AIの進化は驚くばかりだが先日のNHKスペシャルで紹介されていたシカゴでの犯罪に関連する確率の高い人をリストアップする試みなどアブナイ適用例も少なくない。音楽でもアートでも五感による素朴な感動がたいせつ、などと言っていると、世の中について行けなくなったりするのだろうが、それでもいいかな。写真はブラジル先住民の椅子展から。対極。

鴎鵜鶺鴒鷺

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grutto pass ##。築地を離れる頃にはまた雨がしとしと降っていた。時間にゆとりがあるので水天宮の浜口陽三ヤマサ・コレクションに寄ることになった。メトロの乗り継ぎがしっくりいかずに経路の選択に迷っていたら、歩かない?ときた。我が意を得たりと傘をさして隅田川畔へ。風もあってびしょびしょになったが、鴎、鵜、鶺鴒、青鷺、仄かに汐の香の水辺逍遥は楽しかった。よく歩いたよね、と辿り着いたら、なんと休館中。顔を見合わせた。11月再開とあったから11月1日期限のgrutto passで行くのは難しいだろう。

河合寛次郎

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grutto pass #6。庭園美術館のロッカールームで初老の婦人に声をかけられて河合寛次郎展を薦められた。「ぐるっとパス」仲間であることがわかったからなのだ。初めてのパスを使い始めて気づいたのが、思ったより仲間が多いということ。しかもほとんどが年配の女性だ。暇を持て余した庶民の知恵。男は「青春18きっぷ」、女は「ぐるっとパス」。善男善女、みなかわいい。ところが暇がそれほどないのにこの手を使いこなそうとすると、つい余計なところまで出かけてしまって忙くなり過ぎる(笑)。河合寛次郎も有り余る造形力を警戒していたからパスがなければ来ていなかったに違いないが、百聞は一見にしかず、魅力的な人だということがわかった。「私は私を形でしゃべる」と自ら語り金属や石や木のなかに潜む形を外に引き出すのだそうだ。表現は驚くほど多種多様多彩。陶芸どころではなくなった戦時には文字による表現にかたちを変えて創作を続ける強かさがいい。猫もいたし犬もいたが(あたりまえだが)脱帽。大きな写真は新聞広告の切抜に弟が額というか枠をつけた「連結器写真新聞切抜き」。おもしろい人だ。8月の京都で行きそびれた河合寛次郎記念館は彼自身の設計だそう。作品ばかりかお気にいりのモノが空間を埋め尽くしている。代わりに学生たちと甘い茶を飲んで時間をつぶしてしまったことを今は少し悔いている(笑)。

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kinoshita
木下道郎 ・ 建築家
詳しくはworkshop-kino.com

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